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父への恋文
新田次郎の娘に生まれて

平成15年4月26日UP



太いモンブランのキャップを開け、取り出すと、クリーム色の原稿用紙に書き始めた
「読むことは築くこと、書くことは創ること 新田次郎」

新田次郎・・・『強力伝』で直木賞を受賞、数々の山岳小説や『武田信玄』を始めとする歴史小説を著し、1970年代には『八甲田山死の彷徨』を始めとするベストセラーを連発した作家だった。実は私のサイトで取り上げている『つぶやき岩の秘密』の著者でもある。
私が高校生の頃、夢中になった小説がある。それは新田次郎の『アラスカ物語』。石巻生まれの主人公が単身アラスカに渡り、飢餓の危機に瀕したエスキモーを救うために金鉱を探し、彼らを率いて新しい町を築く。
私が大きな感銘を受けた初めての小説であり、その作者である新田次郎は忘れられない人物になった。


新田次郎といえば、無駄のない文章、堅牢な構成力、山岳小説の第一人者。さらに気象庁の課長として富士山頂のレーダー・ドームを建設を担当とした実績と、とても堅くて厳しいイメージがあった。
さらに、そのイメージに拍車をかけたのが、新聞記者時代の司馬遼太郎が新田次郎に新聞連載を依頼に行って断られた話(このサイト内の「司馬遼太郎と新田次郎」を参照)。司馬さんは新田さんに対して好意的だが、この逸話を読むと隙のない人物に思えて、益々近寄り難いイメージができていた。


だが、「堅くて厳しい、近寄り難い・・・」それだけでは小説は書けないと思う。
新田次郎の長女、藤原咲子さんが一昨年(平成13年)に著した『父への恋文−新田次郎の娘に生まれて−』は、作家・新田次郎の素顔を描いた好編だ。

『父への恋文』では、咲子さんの目を通して、また咲子さんとの関わりを通じて作家・新田次郎の素顔を知ることができ、また新田文学の秘密も明かされる。
咲子さんは、乳児期に満州からの過酷な引き揚げを経験し、栄養失調も手伝って、言葉の発達が遅れ気味だった。新田さんは、咲子さんの心を開き、言葉の世界を豊富にしようと試みた。作文指導の場面などでの愛情は細やかで優しい。その指導ぶりは、まず徹底して褒め、その後に改善すべき点を考えるというものだったという。


そして、作文指導の中に新田文学の秘密が隠されているような気がしてならない。
『つぶやき岩の秘密』の中で、新田さんは登場人物の小林先生の言葉を借りて、写実性を重んじ、自らの主観を定めて物事を観察する重要性を説いている。だが、新田さんの文章は単に写実性を重んじるというだけではない。『父への恋文』の中では、咲子さんの作文を例にとって、文の書き出し(導入部)と終わりを、如何に起伏に富ませるか、その効果の重要性を示している。


作文指導の中で、新田さんは咲子さんの机の前に「読むことは築くこと。書くことは創ること」という紙を貼ったという。
読書とは自分自身の中に知識や考え方を蓄積すること。書くことは自己表現であり、創造すること。単純な言葉に見えて、実はとても重みがある言葉だ。これは、ホームページを作っている私達一人一人にもあてはまる言葉であり、大いに励まされる言葉でもある。
私のつたない文章でも、なんとか表現しようという努力を通じて、少しずつでも向上しているのかも知れない。亀の歩みかも知れないが自分自身励まされたような気がした。


新田さんの感性といえば、『父への恋文』の中で、咲子さんと新田さんが吉祥寺の駅に向かう途中で見かけるある少女のことを描いた場面がある。新田さんは少女について語りながら、グールモンの『髪の毛』という詩の話をする。
「――シモオヌ、そなたの髪の毛の森にはよほどの不思議が篭っている――だったかな、女の人の髪の中には、神秘があってね。雨に洗われたにおいや、ハチ蜜のにおい、パンのにおい、草花のにおいがするという詩なんだ。あの少女も、黒い豊かな髪の中に、不思議な香りがするようだね・・・・・・。女の人の美しさとは、案外、髪なんかにも隠されているかも知れない・・・・・・」
新田さんはその内側にはとても豊かな感性があり、それは繊細と言っても良いものだったのかも知れない。


読んでいて驚いたのが「小説構成表」だ。横軸を時間にし、縦軸には登場人物や場所、事件が記される。これならば、実はこの構成表ができた時点で、小説の半ばは出来てしまっている。この部分を読んだとき、堅牢な新田文学の基盤の一面を垣間見たような気がし、これほどに前もって構成を定めなければ、新田さんのような文章は書けないのか、と驚きを感じた。


私は新田次郎という人物に畏怖の感情を持っていたが、『父への恋文』を読んで新田さんの瑞々しい感性に触れたような気がする。考えてみれば、「堅牢な構成力」だけであれば、あの新田文学は生まれなかったと思う。構成力に、この優しさ、情感の豊かさがあればこそ、私も新田さんの小説にが好きになったのだと思う。は生まれる。そして私がこそが、新田文学は、小説の中でも生きているのではないかと思った。
『父への恋文』では新田さんが咲子さんに、いかに愛情を込めて接していたかがうかがわれる。その細やかな優しさこそが、は、春の陽だまりのようであり、読んでいる私自身の心もまた解きほぐされるような気がした。


後書では新田文学のについて咲子さんが綴った場面がある。この文章は新田文学の魅力を余すところ無く表現していると思う。
父には科学者としての鋭い目、祖父、祖母からの教育、自然へ向ける深い愛情があった。その自然と人間とが強烈な接触を保ちながら流動するというモチーフを、卓越した努力と、緻密な資料集め、更に詳細な下調べ、読み、表現力などで構築し、ついに手抜きのない堅牢な新田文学を創り上げることに成功したのである。
新田文学の魅力とは、その誠実さと豊かな感性に負う部分が大きいのではないか。小説に対しても新田さんは誠実そのものだった。私が新田さんの小説が好きなのも、文章を通じてその誠実さが伝わってくるからだ。内容も誠実さ故に手抜きがなく、無駄がない。そして咲子さんに示した細やかな愛情・・・新田さんは厳格なだけではなく、感性豊かで優しい人だったのだ。新田さんのファンとしてはとても嬉しいことだった。
巧い文章を書く作家、読ませる文章を書く作家というのはたくさんいると思うが、今の時代、新田さんの文学、その文章はとても貴重で、新鮮に感じる。
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