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青い空を,白い雲が かけてった
平成15年3月22日UP




2001年1月、惜しまれつつ世を去った漫画家・あすなひろし氏の名作・・・

 

今さら・・・と思うが、二年前にあすなひろし氏の訃報が新聞に載っていた。広島にお住まいだったという。作家や漫画家は、(一般的に)東京に住むものだと思いこんでいた私は、少し意外な気がしたものだ。そして、あすな氏の名前を目にすることがなくなったここ十年程、氏はどうしていらしたのだろうか、と思っていた。


おそらく、あすなひろし氏の作品で最も知名度が高いであろう、『青い空を、白い雲がかけてった』は忘れられない漫画だ。ずっと前(というより昔)に読み、それからも思い出したように手に取る。それが30代後半になっても続いている。私にとってそんな漫画は『青い空を・・・』以外にはないと思う。強烈に入れ込んだということはないが、「あすなひろし」という名とともに、不思議に忘れられない作品だ。


『青い空を・・・』が「週刊少年チャンピオン」に連載されたのは私がまだ中学生の頃だった。
『ドカベン』『ブラックジャック』『がきデカ』『750ライダー』・・・チャンピオンは、少年誌の中でもダントツの人気を誇っていた。
そんな中、少し変わった雰囲気の『青い空を・・・』が断続的に掲載されるようになった。初めはたしか、単発ものだったような気がする。
決してできが良いとは言いかねる中学三年生の「ツトム」、幼なじみの女の子「ヨシベエ」、暴れん坊だが情にもろい「番長」、担任の少々トシマで婚期を逃すまいと焦る「夏子先生」の日々を軸に、様々な登場人物が風のように通り過ぎる。


ユーモアとギャグの中に、意外な人生の一面を見せてくれる作品だった。いや、意外というよりも、私たちが生活の中でふと思ったりしても見すごしてしまうことを見せてくれていたのだと思う。
最初の頃はシリアスな雰囲気が前面に出ていたが、次第にツトムたちを伸び伸びと行動させる描写になっていったと思う。(・・・が、その中に織り込まれているテーマはむしろ深くなっていったのかも知れない)


『青い空・・・』の中には忘れられないセリフ、場面が出てくる。思えばこの人生の局面を凝縮したような場面が、忘れえぬ作品にしているのかもしれない。そこにはあすなひろし氏独特の優しく繊細な感性が込められているのだと思う。風のように水彩画のように透明感があるが、そのテーマはいつまで経っても爽やかに心の中に残っている・・・


第一話「青い空を、白い雲がかけてった」では、工事現場で働く「諒」と先生の心がかすかに交差するが、夏休みが終わった後、諒はすでに転校し、黒板に書置きしている。その誤りを泣きながら直す先生。


第二話「風を見た日」では入院した「亮」を思い、番長が号泣する・・・そして「風が見える」と歩く生徒達。


第三話「いつか見た遠い空」では美貌の少女「凌」が実は幸福でないことがわかり、ツトムに話しかける。「泣きながら歩いている人なんていないけど だからといって みんなが幸せな心で歩いているとは限らないのよね・・・・・・・・・」


弟六話「日だまりの中で」では行方不明になったツトムの家の猫・タマをめぐる、家族のさり気ない思いやりが描かれる。見つかった猫が、実はタマではないとわかりながらも、お互いを思い、元からいたタマかのように扱う家族。


弟十一話「八月のツトム」では、ツトムたちが夏休みに先生の田舎を訪れる。先生と父親はお互いを思いやりながら、父は語りかける「村は変わる ・・・・・・人も変わる・・・・・・」遠く過ぎ去った懐かしい日を思い出すかのように。そして先生も旧友を訪ねた後、ツトムに語りかける。「村も 変わる 人生も 変わる ・・・・・・か」結婚して次第に疎遠になっていく友人を思いながら。それぞれの人生を歩むということは、かつての人生を喪失していくということであるかのように。


ここに書いたのは、『青い空・・・』のごくわずかな部分だが、こうして書き出すと、あすなひろしという作家の中には、人生の哀しみへのいたわりの心や、繊細な思いやり、人生の中の避けられない喪失感を、それ故に優しく見守るという感覚が浮かび上がる。そこに私は心の底で強く惹かれていたのではないかと思う。ポルトガル語でいうサウダーデ、だろうか。
思えば未熟な中学生にもこんなにも深く優しく語ってくれる作家はいなかった。小説、漫画を含めて、人生の優しさや哀しさを教えてくれる作家はいなかったと思う。遠い昔(?)となった私の10代半ばを彩ってくれた作家だったのだと今更のように感じる。


あすなファンとも言えない私がこのようなことを書くのは甚だ不遜だとは思うが、あすなひろし氏は、いわゆる爆発的な人気を得る、メジャー志向の作家ではなかったと思う。恐らく売れれば良いとは思っていても、売るために描く人ではなかったのではないか。
晩年は漫画を描かない時期もあったというが、その時期でも出版社からの掲載の打診はあったというし、氏の実力からすれば、作品さえ発表すれば十分に売ることのできる漫画家だったと思う。
あすな氏は描きたいと思うものがあるときに描く人だったのではないだろうか。だから、描きたいものができたときには、また漫画の世界に戻り、発表しようと思われていたのかも知れない。
あすなひろしという人は、毎日を精一杯生きるということに価値を見出す人であり、漫画もその中の一つだったのではないか。休筆していた間も、多分、別のことに「精一杯生きる」ということを見出していたような気がする。
社会の中に依存して生きる、のではなく社会から独立して生きる人だっただろう。自由に生きるということは羨ましいが、不安もつきまとう。私を含めて多くの人が憧れながら、真似のできない生き方だろう。でも、あすな氏にはごく自然な生き方だったのかも知れない。





さて、私は”『青い空を, 白い雲がかけてった』が忘れられなかった”という程度の、甚だ希薄なファンですが、「あすなひろし追悼公式ページ」では、氏と交流を持っていた、熱心なファンの方たちが氏の思い出を語っていて、私は目頭が熱くなるのを抑え切れませんでした。
ツトムやヨシベエたちの、『青い空を・・・』の生みの親はこんな人だったのか、とごく自然に感じました。
このサイトでは、「あすなひろし作品選集」の刊行を進めています。売れなければ刊行はストップしてしまうとのこと。
あすな氏のこと、『青い空・・・』のことを懐かしく思う方は是非訪れてください。そして刊行続行にご協力ください。
管理人より、切なるお願いです。


それから・・・こちらは復刊ドットコムの投票サイトです。

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