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『司馬遼太郎を歩く』
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『伊達の黒船』 『重庵の転々』
 取材レポート 1
   

『司馬遼太郎を歩く』取材レポート

『伊達の黒船』『重庵の転々』

〜宇和島・伊予吉田〜

平成14年2月25日UP
(取材日:平成14年1月6〜8日)

PART 1 『伊達の黒船』(1)
(宇和島)
三好昌文先生を訪ねて
宇和島伊達文化保存会
PART 2 『伊達の黒船』(2)
(宇和島)
宇和島を歩く
(1)宇和島城
(2)和霊神社と樺崎砲台
(3)嘉蔵の菩提寺
(4)宇和島のサウナ
PART 3 『重庵の転々』
(伊予吉田)
国安の郷
八人様の墓
PART 4 付・松山道後 坊ちゃん列車と道後温泉

 

はじめに

 毎日新聞日曜版連載中の『司馬遼太郎を歩く』の執筆者の一人、重里記者は実は管理人が以前から親しくさせていただいていた方です。昨年10月には次の取材は宇和島を考えているとのことでした。
 宇和島は司馬遼太郎が最も愛した土地。私も大好きな町で、どうしても行きたくなり、同行をお願いしました。
 今回、取材の様子をコンテンツ化しました。題材は、小さな宇和島藩が独力で蒸気船を作り上げた、幕末のプロジェクトXとでもいうべき『伊達の黒船』そして宇和島の分藩である伊予吉田藩を舞台に、医者から家老へ、さらに医者へと数奇な運命を辿る主人公を描いた『重庵の転々』です。

『司馬遼太郎を歩く』取材レポート

『伊達の黒船』(1)

 

三好昌文先生を訪ねて

 宇和島は司馬遼太郎が最も愛した街と言われます。今回、取材では元松山大学法学部教授の三好昌文先生にお目にかかりました。

 三好先生は宇和島の郷土史を研究され、生前の司馬遼太郎とも親しかった方で『街道をゆく』にも登場されます。あの”寄り合い酒”での故・渡辺喜一郎氏と司馬氏とのやり取りなど、その場に居あわせた方でなければ知ることのできない逸話をうかがうことができました。

 先生からは『伊達の黒船』の主人公・ちょうちん屋”嘉蔵”や『重庵の転々』のことなど詳しくうかがいました。
 三好先生のお話で最も興味深かったのは、宇和島での村田蔵六(私は”大村益次郎”より”村田蔵六”の方がピンときます)とイネとのことです。『花神』では、二人のほのかな恋愛が小説全体に暖かな彩りを添え、宇和島の情景を美しく際立たせ、技術者としての印象が強い蔵六の人格に幅を持たせています。でも、実際には二人の恋愛関係は無かったとのこと。蔵六の妻は『花神』では故郷に残っていることになっていますが、実際には宇和島に同行しており、さらに蔵六の弟も来ていたとのことです。

 司馬遼太郎は歴史小説家とも言われますが、人物描写に関しては思いきったフィクションを交えていたようです。小説の登場人物の気分になって楽しむということと、歴史を学ぶということは区別しなければならないと思いました。
 でも、司馬さんの小説はフィクションとわかっても、あまりにその描写がリアリティを持っているので、現実以上の存在感を持っているような気がしました。宇和島の神田川あたりを歩くと今にもイネと蔵六が歩いてきそうな気がします。

 

財団法人 宇和島伊達文化保存会

 『伊達の黒船』では主人公・嘉蔵(前原巧山)が蒸気機間を作りますが、この嘉蔵が描いたと思われる設計図が宇和島に残っているとのこと。伊達文化保存会を訪ねました。
 まず、宇和島市立伊達博物館へ。博物館前には伊達宗城の銅像があります。重里記者はずっと探していて、ようやく見ることができました。

 次に、お隣の(財)宇和島伊達文化保存会へ。上田豊朗所長や学芸員の二宮一郎さんにお目にかかりました。『伊達の黒船』をドキュメンタリータッチで映像化したビデオを拝見。小説はもちろん読んでいましたが、視覚で見るとまた別のリアリティがあります。

 そしていよいよ別室に案内されて、嘉蔵が描いたという図面に御対面です。私は個人的にはこの瞬間が最も嬉しかった。小説『花神』が大好きで、宇和島にも数度訪れていますが、村田蔵六が造った蒸気船のその中枢部分は、この設計図に集約されているような気がします。
 図面は薄い紙にとても細い線で精密に描かれていました。見ていると、嘉蔵の息遣いが聞こえてきそうなきがします。荒牧カメラマンは一生懸命撮影しています。”被写体”の上田所長は「モデルも大変だな」と笑っていらっしゃいました。重里記者はその間も取材を続けて、自然な雰囲気を作り出していました。

 嘉蔵は一種の天才だったと思いますが、上田所長は「嘉蔵は何もないところからスタートして独力で学び、蒸気エンジンを作り上げた。その気概、努力、着想といったものを現在の人々にも見習って欲しい」とおっしゃていました。
 司馬遼太郎は「幕末の宇和島藩が独力で蒸気船を造ったのは、現在の宇和島市が人工衛星を打ち上げるようなものだ」と言いましたが、私は”幕末のプロジェクトX”だったのではないかと思います。

 取材も和やかな雰囲気で終り、二宮学芸員に伊達博物館を案内していただきました。この博物館は豊臣秀吉の肖像画で有名ですが、その他にも松江の伝・松平不昧公の甲冑、徳川斉昭(水戸列公)の刀剣など貴重な展示物があります。宇和島伊達家のお膝元で見ると、歴史が身近に感じられます。

 上田所長の御招待でお隣の旧・天赦園ホテルで昼食となりました。上田さんは貫禄のある方で、最初は少し恐かったのですが、話してみると楽しくて、来訪者に気持ち良く過ごしてもらいたいという心遣いが感じられます。「宇和島まで来て行儀良くしなくても良いでしょう」という言葉で雰囲気が和み、食事も美味しくいただきました。

 この後二宮学芸員、伊達事務所の方の御案内で名勝”天赦園”を散策しました。(伊達政宗公の漢詩から「天赦園」と命名されました 『馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何』)
 伊達宗城の義父・七代藩主宗紀(”春山”という号で知られます)が、退隠の後、生活の場として御殿の一角を造営した庭園です。宗城公は幕末四賢侯の一人として知られますが、春山公もまた偉大な人物で、幕末の宇和島藩はこの二人の存在で際立ったのではないかと思いました。

 この天赦園は、以前訪れたことがありましたが、借景のポイントなどをうかがいながら見ると、知らなかった景色の美しさを感じました。

伊達宗城像
晩年の大礼服姿
宗城公は当時としては
長身でした。
説明をうかがいながら園内を歩く
左より重里記者、荒牧カメラマン
(財)宇和島伊達文化保存会の方、二宮学芸員
”大名池見ず回遊式庭園というように池を一周して観賞します。
天赦園では藤原の名に因んで藤棚がつくられ、かつては
咲き誇る花を伊達家の栄華とあわせて鑑賞されました。
春山公明治22年の百歳書
能書家の春山公は
明治天皇から百歳を
祝い硯をいただきました(現存)
天赦園・上り藤の藤棚
咲き誇る藤は水面い映え見る者の心を和ませます。
(満開の頃は美しいそうです)
山(鬼ヶ城)を借景とする風景
慶応2年英公使パークスが英国蒸気船にて宇和島に来港。
そのお礼に年賀状をアーネスト・サトウが持参。
鬼ヶ城という名に大いに興味を持ったそうです。

 

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