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〜書評と感想〜
平成13年11月29日UP
平成13年12月22日追記 (『新史太閤記』『覇王の家』)
平成14年12月3日追記 (『空海の風景』)
司馬遼太郎が亡くなって五年余りの月日が過ぎた。しかしながら、未だに司馬作品は多くの人を魅了しており、特集を組んだ書籍や雑誌も多い。
その中の一つの傾向とでも言えるのが、司馬遼太郎の作品と風土を振りかえるという視点だと思う。NHK出版の『司馬遼太郎の風景』は、その足跡を直接に辿り、解説する構成になっている。また、サンケイ新聞社の『坂の上の雲を歩く』は、単一の作品を丹念に辿っており、その背景を説き明かす。
それに対して、このページで取り上げる、毎日新聞社の『司馬遼太郎を歩く』は、幾つかの点で興味深く感じる。まず、司馬遼太郎の代表作で、比較的良く知られた長編(『竜馬がゆく』等)から、短編(『貂の皮』)やノンフィクション(『故郷忘じがたく候』)、比較的マイナーな作品まで、満遍なく取り上げていること。
さらに、三人のライターが個々に作品を担当して、その舞台を訪ねており、司馬の足跡を辿りながらも、鋭い感想を述べ、小説の知られざる背景を説き明かしていること等だ。しかも、彼らはジャーナリストであり、客観性を保った内容になっていると思う。司馬遼太郎は国民的な作家といわれた。その理由を考えると、自らの戦争体験を通じて日本人とはなにか、日本社会とはなにか、ということを探求し続けたこと。その回答として、日本人と、日本社会の持つ美しい部分、希望の持てる部分を抽出したことなのではないかと思う。その過程で、日本の歴史や風土について検証が進められていったのだと思う。
従来、司馬遼太郎と風土というと、『街道をゆく』があまりにも有名だった。しかしながら、『街道をゆく』は司馬の個々の作品の取材があって、初めて成り立ったものだと思う。その意味では、原点とでもいうべき各作品の舞台を検証、批評することは、司馬遼太郎の全体像を見極めるという典から考えても、極めて興味深い作業だろう。さて、そんなわけで、『司馬遼太郎を歩く』を読むと、自分が司馬ファンを自認しながらも、結構読んでいない作品が多いことに気がつく。
このページでは、私が原作を読んだ”作品”から紹介し、感想を述べてみたいと思う。(したがって、これからも原作を読み進み、少しづつ更新していきたいと思う。このコンテンツを作って約1年、ようやく『空海の風景』を読んだ。司馬さんの作品の中では「難しい」方の小説だが、それでも日本宗教史上の巨人・空海をわかりやすく描いていると思う。
小説は、若き日の空海のあり様を描き、入唐、帰国、最澄との相克、高野山開山からその死までが、時に現代の風景を織り交ぜながら描かれて行く。さて、取材の担当は重里記者。実は、彼が毎日新聞・「司馬遼太郎を歩く」の取材で、最初に取り上げたのがこの『空海の風景』だった。この小説は恐らく新聞連載で取り上げるのは難しい本だと思うが、よくこの小説を最初に選んだものだと思う。(私だったらもっと無難なところから始めると思うが。重里さんの並々ならぬ熱意が感じられるようでもある)
私もここ1年ほど重里さんの取材に同行させてもらっているが、取材地の選定からインタビュー、連載までの流れを考えると、記事全体が、とても興味深い。重里記者は、空海の故郷・善通寺、若き日に放浪した室戸岬の最御崎寺、神護寺(かつての高尾山寺)、そして最後に高野山を訪れる。理知的な最澄と、宇宙の深奥に入ろうとする空海、両者の比較などに、なかなか興味深い筆致が見られる。司馬さんは、最初は最澄を描こうとしたらしいが、小説としては空海の方が向いていると考えたらしい。なるほど、と思った。『峠』は司馬遼太郎の作品の中では、かなり知られた小説だと思う。特に主人公の河井継之助は、おそらく坂本竜馬に次ぐ、司馬作品中の人気のあるヒーローだろう。先見の明があり、幕末の人物の中でも傑出した存在だったが、竜馬とは対称的に武士道をまっとうする。その死のシーンは印象的だ。
さて、その河井継之助だが、地元・長岡では意外なほどに評価が低いという。北越戦争は激烈を極め、住民には犠牲を強いることになった。その戦争に巻き込んだ張本人ということらしい。しかしながら、批判する人々も、河井の生き様には決して悪くは言わない。地元の人々の河井継之助への微妙な思いが綴られて、興味深い一編だ。
戦国の成りあがりの代表・斎藤道三と、道三の娘婿である織田信長を主人公としたドラマ。私の印象では、信長よりも道三に関する部分が興味深い。油売りから美濃の国主・土岐氏に取り入り、やがて実権を握るが、自らの息子に攻め滅ぼされる。その道三の最後のシーンが心に残る。
文中、興味深い記述がある。岐阜城は、金華山の頂きに造られた難攻不落の山城だった。信長は、「この城を築いたときから蝮(=道三)は守りに入った」と言う。あまりに堅い守りのために、外に打って出る気力が失われたというのだ。私も、実はこのあたりが道三の没落の大きな要因だったのではないかと思う。信長は対称的に琵琶湖湖畔に面し、交通の便の良い安土城を築いた。
筆者の荒井氏によれば、この小説は”隠れた名作”だという。土佐の戦国大名・長曾我部氏をテーマにした小説だが、同じ土佐を舞台にした『竜馬がゆく』の影に隠れているという。しかしながら、土佐の人的風土・精神を形成した、という意味では、長曾我部氏の存在は大きい。長曾我部氏の”一領具足”という制度が、山内時代に入っても”郷士”に受け継がれ、その中から維新を担う力が生み出されたとも言える。土佐について考える、という視点からすれば、欠かすことのできない小説なのかも知れない。
長曾我部氏は、関ヶ原の戦いで西軍についたために、大名としての家は絶えており、そのせいか、私を含めて後世への印象は薄い。しかしながら、この小説を読むと、薩摩の島津氏に匹敵するくらいの個性を持った大名だったのかも知れない、と思った。新撰組・土方歳三が主人公であり、同時期に発表された『竜馬がゆく』とは”反対側”から歴史を描いたとも言える。革新的で新しい時代の感覚を持った人間を描くことが多い司馬の作品では例外的なものなのかも知れない。
この章を執筆した重里氏は、土方の故郷、東京・日野をはじめ、京都、大阪、そして終焉の地・函館までも土方の後を追いかける。私が印象的だったのは、函館近辺の記述だ。今も土方を慕って、多くの人々が訪れるという。
出身が農民であったが故に、逆に武士道にこだわり続けた土方歳三。月並みな言い方だが、一途で片意地を張り通したとでもいうべき生き方に、私たちは惹かれるのだろうか。
この作品では、薩摩焼の沈家・第14代当主の沈寿官氏が主人公となっている。実在の人物を描いたノンフィクションという点で、かなり異質な作品かも知れない。
私は、司馬遼太郎が生前最も好意を抱いた人物は、宇和島の故・渡辺喜一郎氏だったと思うが、あるいは沈氏はそれに並ぶ存在なのかも知れないと思う。
沈氏の祖先が日本に連れ去られた光景、沈氏が、いかにして薩摩で生きてきたかという光景、そして寿官氏の少年時代が綴られ、最後は沈寿官氏が韓国を訪問し、当時の朴大統領と会見した場面、先祖の故郷に里帰りする場面などが描かれる。
この章では、モデルの沈寿官氏が健在ということもあり、現実と司馬作品の相違など、創作の裏話がリアルに記述されている。このあたり、司馬遼太郎の”作品化”のプロセスや、考え方が出ているようでおもしろい。
司馬遼太郎の”薩摩好き”は有名だ。直木賞受賞の際、海音寺潮五郎氏が司馬を強く推したことや、歴史上の人物(島津斉彬や西郷隆盛等)の存在が影響しているのかも知れないが、沈寿官氏も紛れもなく”司馬遼太郎の中の薩摩”を象徴している人物。この章では、司馬遼太郎を知るには不可欠な作品の形成過程を知ることができる。
この作品は比較的知られていない短編だと思う。豊臣秀吉の武将であった脇坂安治の生涯が、その得物である”貂の皮”を通じて語られる。安治は、加藤清正、福島正則等と同じく秀吉子飼いの大名だが、彼らよりもの年かさで、地味で派手な武功とは縁の薄い武将だった。そのため、出世は遅れるが、一世一代の勝負を賭けた場面があった。
丹波・黒井城の赤井悪右衛門のもとに、単身降伏を説きに訪れる。悪右衛門は篤実そうな安治に実質的に城と、家宝・貂の皮を与えることになる。安治は派手ではなくともうまく江戸期まで生き残り、脇坂家も貂の皮の験もあってか、無事幕末まで続いた。
主人公の脇坂安治同様、派手ではないが、なかなかに味のある短編だ。そしてこの章では、脇坂家が江戸時代をつつがなく過ごした理由についても触れられている。
いわずと知れた司馬遼太郎作品で最も人気のある小説。筆者の楠戸氏は、竜馬の故郷・土佐と、”仕事場”であった長崎をメインに取材を進める。私としては長崎についての記述が特に興味深い。
竜馬は長崎で中国の楽器・月琴を習ったという。これに限らず、坂本竜馬は音楽は好きだったようだ。『竜馬がゆく』では高知にいた頃は姉と共に一弦琴を習っていたというし、名曲「漁火」を演奏する場面もある。(実は、宮尾登美子の『一弦の琴』にも竜馬は少しだけ登場するが、「漁火」についての記述は異なる。興味のある方はご一読を)
さらに、”長崎ぶらぶら節”に関する記述もある。なかにし礼の小説は丸山の芸妓・愛八が、忘れ去られた長崎ぶらぶら節を発掘するストーリーだが、『竜馬がゆく』では、竜馬自身が丸山を歩きながら歌う場面がある。
この章を書いた楠戸氏は、長崎・風頭山の亀山社中跡を訪れている。諏訪神社の近くにあった長崎奉行所を見張る目的もあって、亀山社中はこの地に設けられたという。私もかつて長崎を旅し、この土地を見学した。そのとき、ちょうど諏訪神社で映画『長崎ぶらぶら節』のロケが行われているのが見えた。二つの作品がリンクしたようで不思議な気がしたが、実は不思議でもなんでもなかったのだ。初めから亀山社中は諏訪神社周辺が見えることを前提として設けられていたのだ。
長崎は、宇和島と並んで、司馬遼太郎が最も愛した土地だといわれる。その長崎における竜馬の活動の史的背景を詳しく知ることができるという点でも、興味深い章だと思った。
司馬遼太郎作品の特徴の一つは坂本竜馬や秋山兄弟のような歴史的にそれほど知られなかった人物(でありながら、実は魅力的な人物)を発掘して表現することにあると思う。司馬遼太郎が秀吉をどう描くかということは、逆に興味深い。
物語は、秀吉の悲惨な十代の頃の姿から描かれる。司馬遼太郎は斎藤道三(『国盗り物語』)や北条早雲(『箱根の坂』)など、謎の多い人物の前半生を興味深く描き出すが、ここでも同様だ。
この章の筆者の重里氏はまず、多くの秀吉を主人公とした小説と比較して司馬作品の特徴を論じる。誰でも知っている人物であるが故に多くの見方が生じる。まず、どのような視点で描かれたかということを知るのは重要だろう。重里氏が本文で詳しく解説しているが、悪人としての才能も豊かであった秀吉が、信長という仕えにくい主人のもと、あえてその才を明るく誠実に用いていく姿が描かれ、そこがこの小説の一番の魅力でもあるように思う。
司馬遼太郎は秀吉が好きだったのだろう。飛翔するような筆致が印象的だ。物語の内容については、『国盗り物語』の後半や、黒田官兵衛を描いた『播磨灘物語』と時代が重なり、共通した感覚で描かれているようにも思う。(あるいは、弟・秀長の目を通して同時代を描いた堺屋太一の『豊臣秀長−ある補佐役の生涯−』と比較してもおもしろいだろう。)徳川家康の一生を描いた小説だが、前述の『新史太閤記』と比べると、その筆致からしてかなり異なる。『新史太閤記』が伸びやかな印象を持つのに対し、『覇王の家』は説明が多く、重い文章になっている。司馬遼太郎は家康に対して厳しい評価をしており、”苦手”な人物だったのだろうか。その人物をあえて解き明かそうとしたのが『覇王の家』だったのかも知れない。
家康という人物を特徴づけるのは、三河という多分に農村性が強い人間集団の主であるということと、幼い頃今川家や織田家で人質生活を送ったという経験ではないかと思う。三河の人間集団のあり方は、後の江戸時代の社会の様式、そして現在に至るまでの日本の社会の様式を決定つけたのだと思う。
この章の筆者の荒井氏は、家康の軌跡を辿るとき、家庭人としてのあり方など、一味違ったアプローチ、見方を紹介している。さらに、三河という土地を越えて、日本の風土と家康の精神性の近似性を指摘し、興味深い記述をしている。