[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

 

『司馬遼太郎を歩く』について(INDEX)へ戻る 『司馬遼太郎を歩く』を読むへ

『司馬遼太郎を歩く2』を読む

〜書評と感想〜

平成14年9月6日UP

INDEX
『司馬遼太郎を歩く2』について
『蘆雪を殺す』
『王城の護衛者』
『最後の将軍』
『馬上少年過ぐ』
『酔って候』
『播磨灘物語』
『花神』
『関ヶ原』
『箱根の坂』
『梟の城』
『伊達の黒船』 / 『重庵の転々』
『世に棲む日日』『尻啖え孫市』は
まだ小説を読んでいません。
読み次第コメントを載せます。
荒井 魏 ・ 楠戸義昭 ・ 重里徹也 著
毎日新聞社刊 / \1,500 / ISBN4-620-31568-0
『司馬遼太郎を歩く2』について

新聞連載の単行本第2弾が出ました。
『最後の将軍』『酔って候』などの傑作短編、根強い人気のある『花神』『世に棲む日々』、直木賞受賞作の『梟の城』などの作品が取り上げられています。
また、管理人が取材をレポートした『伊達の黒船』 『重庵の転々』も収録されています。
新聞連載は東京版につき、西日本では読むことができません。単行本で是非ご一読を!

 

『蘆雪を殺す』(平成14年12月25日追記)

司馬さんの小説の中でも特異な分野とも言える芸術もの。講談社文庫の『最後の伊賀者』には、「蘆雪を殺す」と「天明の絵師」が収められている。
長沢蘆雪は天才的な画家だが、一面倣岸ともいえる自尊心を持ち、師の丸山応挙でさえも持て余す。そのため、ふとしたことである藩の武士を切腹に追い込むことになってしまった。蘆雪はその武士の末子が自分を殺そうとしていると思い込み、旅にも出るが、結局大阪で食中りによって死ぬ。蘆雪は毒を盛られたと思っていた…。
筆者の重里氏は、南紀に飛び、蘆雪ゆかりの寺を訪問。数々の作品を見て、蘆雪の天才性に着目する。重里氏は、同じ『最後の伊賀者』に収録されている「天明の絵師」と比較しつつ蘆雪という人物とその芸術を考え、そこから司馬さんの人間に対する見方を洞察している。
尚、単行本には荒牧カメラマン撮影の蘆説の「虎図」も収められていて、その構図の大胆さを実際に見ることができるのは特筆すべきことだと思う。

『王城の護衛者』(平成14年12月8日追記)

会津藩藩主・松平容保。司馬さんがいろいろな場で言及している人物だ。会津松平家は、二代将軍・秀忠の落とし胤が藩祖であり、将軍家に対しては格別な忠誠心を持ち、高い教育水準を持ち、藩全体が名門の風を持っていた。
この会津の松平容保が幕末、京都守護職を引き受けざるを得ないところから悲劇は始まる。この職に就くことは、火中の栗を拾うようなものであり、容保も十分にわかっていた。
容保は知的でありながら、政治感覚に疎い。感激しやすい純粋さを持つ。そのため、幕末においては次第に苦しい場面に追い詰められ、戊辰戦争へとつながる。
筆者の荒井氏は京都と会津若松を取材。現代でも会津藩へ強い思いを持つ人々がいることを示す。その一方で、二つの考え方が示される。「会津戦争を美化してはならない」そして「会津藩がなければ、武士道は存在しなかった」
司馬さんは事の良否は別にして、志を貫き通した会津藩に一目おいていたような気がする。

『最後の将軍』

あるいは家康以来の人物とも評された、徳川慶喜。筆者の楠戸氏は慶喜につけられたあだ名と、その生い立ちから彼の人格を辿る。水戸烈公の子として生まれたことが、彼の人生に大きく影響しているような気がする。幕府の代表でありながら、朝廷に対する恭順の意も同時に持つ。
そのことが彼に幕末における特異な行動を取らせ、紆余曲折の末に明治政府が誕生した。大政奉還を受け入れたのが慶喜の最大の功績だったのかも知れない。
興味深いのは、維新後明治に静岡に隠棲したときの記述。「最後の将軍」はどのような思いで「趣味人」としての自分を生きていたのだろうか?

『馬上少年過ぐ』

伊達政宗―言うまでもなく戦国期の奥州の覇者。小説のタイトル晩年に残した有名な漢詩から取られている。
政宗を語るとき、必然的に肉親との関わりが出てくる。畠山氏との確執の過程で、父を結果的に殺すことになった事件、さらに母・弟との伊達氏後継を廻る確執…筆者の荒井氏はこの二つの事件の真相に迫り、事件を通じて形成された政宗の感性・人格を考える。

『酔って候』

幕末をに活躍したいわゆる「四賢侯」。その中でも一際鮮やかに時代を彩ったのが土佐の山内容堂だろう。だが容堂の地元での評価もまた鮮やかにわかれる。器の大きい人物だったという評価と、時代を読みきれなかったという評価。
山内容堂は、人並み優れた胆力と頭脳を持っていたが、結局は幕府の一大名という枠から一歩もはみ出すことは出来なかった。幕末という時代に生まれたのが不幸だったのか。
土佐勤皇党の弾圧などから恐持ての印象が強い容堂だが、筆者の荒井氏はそれだけでない人格的側面にも記述している。

『播磨灘物語』

司馬遼太郎が戦国時代で最も好きだった人物は黒田官兵衛だったのではないだろうか。筆者の重里氏は官兵衛の故郷・姫路、そして豊前中津へと足を運び、その土地の人々の声に耳を傾けながら、司馬さんが好きな官兵衛の人格像を辿る。
私が官兵衛の人格の特徴の一つは、戦国期には珍しい教養の高さだと思う。和漢に加えキリスト教に入信したことにより、西洋の文物や倫理観も知っていた。その教養の高さが「欲のなさ」の透明度をさらに高めたような気がする。

『花神』

幕末に突然のように登場して新政府樹立に大きな功績を果たした大村益次郎(村田蔵六)。緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、宇和島に招かれ蒸気船を造り、さらに故郷・長州藩に呼び戻されて、幕末の風塵の中に立つ。
筆者の楠戸氏は蔵六の故郷・鋳銭司村の風景の美しさを印象的に描き出す。
蔵六もまた司馬さん好みの人物。技術者であり、観念からではなく、現実をそのままに把握する。世情に疎い面があるが、戊辰戦争の資材の調達など、たちどころに逆算して必要量や輸送時間などを算出する。緻密で正確な計算のできる人物なのだ。
私の個人的な印象にすぎないが、村田蔵六という人物は、どこか作家の新田次郎を思わせるような気がする。

『関ヶ原』

天下分け目の関ヶ原の戦。豊臣家への忠誠心と家康への義憤に燃える石田三成が主人公。客観的に見れば三成が家康に戦いを挑むこと自体が無理だった。しかも加藤、福島といった秀吉ゆかりの大名たちが家康方についたというところにも、三成が西軍をまとめることへの無理が見える。通常ならば司馬さんは”現実が見えていない”として厳しい評価を見せるところだが、なぜか三成に対しては優しく記述する。このあたりに司馬さんの人格が投影されているような気がする。
さて、私が原作を読んだときの印象では、三成や家康よりも島左近の人間の大きさが印象に残っている。人物に刺のあった三成だが、島左近のような侍大将が家臣として仕えるところに、その人物像の隠された魅力があったのかも知れない。

『箱根の坂』

下克上の先駆け、戦国の幕を開けた人物として知られる北条早雲。どちらかと言えばマイナスイメージが強かったが、司馬遼太郎は一般とは別の無欲な早雲像を作り上げた。筆者の重里氏の伊豆修善寺での取材などを通して、司馬さん流北条早雲の造形の背景を彼の思想などの背景から探る。
司馬さんの小説を読むと、領国経営は良心的であるし、合理的な思考と併せて、中世から近世への転換点を開いた人物のように思われる。

『梟の城』

新聞記者は忍者に似ている…筆者の楠戸氏の印象的な記述から始まる。確かに大将に限りなく接近しながら、どこか一線を画し、かと言って時の権力に迎合することも避ける…そんな意味で興味深い指摘だ。司馬さんは忍者とは何かを通して新聞記者である自分を描こうとしたといわれる。
司馬遼太郎は『梟の城』で直木賞を受賞した。デビュー作『ペルシャの幻術師』以来のファンタジックな小説から本格的な歴史小説へ移行する過度期的な作品と位置付けられるだろう。

『伊達の黒船』 / 『重庵の転々』

『伊達の黒船』は幕末の宇和島が舞台。ちょうちん屋の嘉蔵は何をやってもうだつの上がらない人物だったが、藩主・伊達宗城の「黒船を作る」との命により、全くの無の状態から蒸気船のエンジンを作る。その過程がユニークに描かれる。
取材では嘉蔵の墓を訪れたり、伊達文化保存会で嘉蔵の直筆と思われる精密な図面に”対面”している。

『重庵の転々』は宇和島の北の小さな町・伊予吉田が舞台。時は江戸初期、ようやく戦乱も収まり、平和な世の中が始まった頃。宇和島藩初代藩主・伊達秀宗は、子の宗純に三万石を割いて吉田藩を分藩した。医者の重庵は、この宗純の腫瘍を治し、重臣にまで取りたてられるが、その異常な出世は反感を買い、ついには仙台藩に引き取られ、町医者に戻る。
取材では、悪臣(と見られていた)重庵を殺害しようとした八人の墓や、豪商法華津屋が保存されている「国安の郷」を訪れている。

『伊達の黒船』『重庵の転々』は、
取材レポートを公開しています。是非ご覧ください。

『司馬遼太郎を歩く』について(INDEX)へ戻る 『司馬遼太郎を歩く』を読むへ