『司馬遼太郎を歩く』
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『歳月』取材レポート
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『司馬遼太郎を歩く』取材レポート
『歳月』

8.司馬遼太郎と江藤新平

さて、司馬遼太郎は江藤新平をどのように見ていたのだろうか?
司馬遼太郎の人物評価のキーポイントの一つは現実認識の能力という面だろう。正岡子規が好きなのも、”写生の精神”=現実をありのままに綴る、ということであるし、維新の薩摩人についての評価が高いのも、彼らの現実把握能力を買っているからだ。それに対して観念先行型だった長州の人物には評価が辛い。また、第二次大戦での日本の軍部に対しても、現実を理解しなかったからこそ無謀な戦いに突入したということで、厳しい評価を下している。

江藤新平は、どちらかと言えば観念先行型だったように思う。現実に対して身を処するというのではなく、初めにかくあるべき、という理想を立て、それに現実を追いつかせていくという面があった。(ただし、江藤新平はそのための諸制度を構築する抜群の能力があったが)
征韓論に敗れて下野してからの江藤はすべてが裏目に出て、歯車が悪い方向に回転し、自ら作り上げた警察の捕捉され、刑死という最後を迎える。

それでは、司馬遼太郎は江藤新平に対して冷たい評価をしているかといえば、必ずしもそうではない。確かに所々で厳しい評価を下してはいるが、どこかに好意、暖かさというものが見え隠れする。江藤新平の曾孫にあたる茂國氏が『歳月』に好意的なのも、批判はしながらも、評価すべきところは評価しているからではないだろうか。
そもそも司馬遼太郎が本当に嫌いな人物を主人公にして長編小説を書くとは思えない。欠点を認めつつ、どこか惹かれる部分があったのだろう。

司馬遼太郎が江藤新平に一定の好意を寄せた理由を考えると、まず一種の清潔感を買ったのだと思う。江藤新平には、汚職を潔しとせず、厳しく公正な判断を下すところがある。現実感がないといっても、それは私利私欲に目がくらんでのことではなく、理想があってのことだ。そして江藤の理想(=フランス流の思想を導入した政治)は時代の流れの中では決して間違っておらず、後には現実となる。青臭い一面があったととしても、司馬遼太郎には惹かれる部分だったのではないか?
もう一つは江藤新平の人の良さとでもいうべき部分だと思う。あれほど論理に鋭く、厳しい一面があったにもかかわらず、佐賀に戻ると簡単に反乱軍に担ぎ上げられる。そんな所に論理の中の情、人の良さを感じる。本当に冷徹で完璧な人間ならば佐賀の乱には加わらないだろう。

江藤新平を語るとき、欠かすことのできない人物がいる。大久保利通だ。『歳月』においても、江藤新平を主人公にしながらも、半ば大久保について語っているような面もある。
大久保こそは維新最大の政治家だろう。現実感覚に優れ、明治という新しい時代と社会を築く理念と手腕があるごくわずかな人物だった。志半ばにして暗殺されるが、大久保が生きていたら日本の未来も随分と違ったものになっていたに違いない。

司馬遼太郎流に見れば、大久保こそ維新の最大の人物である。だが『歳月』での書き方は必ずしも好意的ではない。佐賀の乱の後の江藤新平の処遇(=鳩首)の非合法性についてもかなりページを割いて記述している。
また直接関係のない出来事にもかかわらず、田中河内介殺害の一件についても、かなり厳しい書き方で挿入している。(大久保は維新の志士であり、薩摩藩を頼ってきた田中河内介を残忍な方法で殺している)
司馬遼太郎は大久保を評価しながらも、手段のためならあえて残忍なことも行うという一面は、どうしも好きになれなかったのだと思う。

明治十一年四月、大久保一蔵が紀尾井坂で暗殺されたことをきいたとき、小河はその浪宅でたまたま訪客と話をしていた。しばらく息をわすれたように考えているふうであったが、やがて、
 ――アア、天トイウモノハアルカ。
 といって長嘆した。天とは儒教では人間の運命の支配者であり、その善悪の判定者ということになっている。キリスト教でいう神と哲学的な内容はやや似ている。やはりああいう人物を神はゆるさなかった、という意味のことを小河一敏はいったのである。

司馬遼太郎『歳月』より

豊後岡藩の藩士だった小河一敏が大久保が暗殺されたときに発した言葉は司馬遼太郎の思いを代弁しているように思えてならない。

私は、明治の新国家建設の理念、構想を持っていたのは、江藤と大久保の二人だけだったように思う。(あと一人、坂本龍馬も構想を持っていたが、官というより民の立場で、経済的な面に重きを置いていたと思う) 政治的な根回しでは大久保の方がはるかに優れていたが、細かい諸制度から国家を構築する能力では江藤の方が上だったような気がする。
だが、異なる二つの国家理念は並立しえない。江藤が大久保と共に外遊していれば…という考え方もあるが、私は二人は相容れなかったと思う。
幕末、独自の位置を占めた鍋島直正がもう少し長生きしていたら、江藤は死刑にならなかったかも知れないし、それ以前に佐賀の乱そのものも起こらなかったのではないか。死刑にならず幽閉程度であったら、再起の可能性もあったと思う。

江藤が国家を築いたとしたら、理想的ではあったが、危うい一面も孕んでいたかも知れない。だが、目的のためならどんなに残忍な手段でも辞さない大久保が築く国家というのも、私は恐いと思う。仮定で歴史を語ることはできないが、いずれにせよ、国家の理念を持った二人は志し半ばで倒れた。それは長州閥、軍閥の台頭を許すことにつながった。

司馬遼太郎は江藤新平に時に厳しい評価を下しながらも、その欠点がある故に、どこか擁護し、好意的に描いているような気がする。あるいは、日本という風土に稀有の資質−高度の論理と潔癖性−を持った人物を描きたかったのかも知れない。
有能でありながら、欠点を持った人間の喜悲劇というのは軽率な言い方だろうか? だが、そこに『歳月』を読み解くキーがあるような気がした。

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