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『歳月』取材レポート 1 2 3 4 |
『司馬遼太郎を歩く』取材レポート
『歳月』
〜佐賀〜
平成14年3月31日UP
(取材日:平成14年3月4・5日)
| PART 1 | 1.江藤新平について 2.神野公園(銅像) 3.本行寺(菩提寺) |
| PART 2 | 4.佐賀県立図書館と福岡博先生 5.佐賀城跡 6.大隈記念館 |
| PART 3 | 7.江藤茂國氏を訪ねて (1)子孫からみた江藤新平 (2)『歳月』と江藤新平の記録 |
| PART 4 | 8.司馬遼太郎と江藤新平 |
毎日新聞日曜版(東京版)に連載中の『司馬遼太郎を歩く』。1月の宇和島・吉田に続いて、佐賀を舞台にした『歳月』の取材に同行しました。幕末から明治初めにかけて初代司法卿として活躍した江藤新平の生涯を追います。
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『司馬遼太郎を歩く』取材レポート
『歳月』1
1.江藤新平について
維新に貢献した藩を、一般に薩長土肥という。明治政府では薩摩・長州が圧倒的な勢力を振るい、土佐が続く。”肥”の佐賀藩は藩主鍋島直正の指導の元、驚異的な産業国家となり、最新の陸海軍を備えるに至った。その強力な軍隊を明治政府に差し出すことにより 末端に肥前(佐賀)が名を連ねる。
維新の活動に乗り遅れた佐賀藩の中で、かろうじて他藩の志士と並び活動したのが『歳月』の主人公江島新平だった。抜群の頭脳を持つ新平は明治政府の初代司法卿となり、司法・立法・警察・教育と、近代国家の基礎を次々に築いていく。
だが、その前に薩摩の大久保利通が立ちはだかる。征韓論で大久保に敗れた江藤は新政府を辞して佐賀に下る。新政府に不満を持つ士族に担ぎ上げられ、佐賀の乱を起こすが、あっけなく敗れ、”鳩首”という無残な刑死を遂げる。江藤新平というと悲運の人物ということで、やや暗くネガティブなイメージが先に立つ。これは私のイメージの中での話だが、”佐賀の乱”というと薩摩の西南戦争の印象が強烈なため、今一つ影が薄い。また佐賀という土地自体地味な印象を持たれがちだ。
しかしながら司馬遼太郎の『歳月』を読むと、江藤新平が如何に明治政府の諸制度の整備に大きな貢献をしたかということがわかり、また大久保利通との対比が興味深く語られる。今回の重里記者の取材は、江藤新平という人物、そして佐賀という屈折したとも言える歴史風土を理解するのが大きな目的になったと思う。そして、重里記者がどのようにとらえ表現されるのか、大いに興味があるところだ。
佐賀MAP 掘割(街のいたるところに見られます)
2.神野公園(銅像)
江藤新平の銅像がある神野公園(こうのこうえん)は佐賀駅北口方面。重里記者と駅から歩いた。30分程で公園に到着。入口付近の池の向こう側に江藤新平の銅像がある。
銅像はややふっくらした面持ちで、写真のイメージと若干違うような気がする。
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| 江藤新平銅像 | 銅像側面より |
神野公園は鍋島直正の別邸跡。現在は公園になっているが、池も大きく、構成の美しさなどから、昔はかなり立派な庭園だったことがうかがわれる。散策のお勧めは庭園内を流れる小川と池との間に延びる細い小道。
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| 小川と池の間の小道 | 茶室 |
3.本行寺(菩提寺)
江藤新平の菩提寺。新平は元々江藤家代々の菩提寺である蓮成寺に葬られたが、妻・千代が墓参りに近いところを希望し、墓は佐賀中心街から程近い本行寺に移された。
まず、本堂のすぐ前にある新平卿のお墓を撮影、続いて御住職にお話しをうかがった。
御住職によれば、現在でも地元のみならず、全国から江藤新平の墓を訪ねてお参りに来られる方が後を絶たないということだった。現在の日本という近代国家の原型となった明治の諸制度を調べれば、新平卿の業績に辿りつくためかと思う。また法務大臣経験者も訪れることが多いということだった。
さらに、地元の「小中学生も自由研究等で郷土の偉人・江藤新平を取り上げることが多いということだ。
江藤新平の墓(本行寺)
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