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司馬遼太郎を歩く・取材レポート
『功名が辻』郡上八幡編(中)
〜千代の故郷を探して〜
3.郡上八幡を歩く
映画『郡上一揆』制作を記念してボランティアで運営されるギャラリーを訪ねると、佐藤とき子先生、川上朝史さんが待っていてくださった。
川上さんは一豊夫人顕彰会の会長を務められている。佐藤先生は顕彰会の副会長であり、八幡町と大和町の文化財審議委員を務め、郡上八幡の生き字引のような方。お二人と共に郡上八幡を歩いた。
佐藤とき子先生と川上朝史さん(一豊夫人顕彰会会長)
郡上八幡MAP(1)山内一豊夫妻の銅像
郡上八幡城は険しい山の上に築かれているが、その中腹の見晴らしの良い広場に山内一豊夫妻の銅像が建てられている。
川上朝史さんの父・与三吉さんが『遠藤記』等から一豊夫人の出身地が郡上八幡らしいということを知り、故郷のためにも世間に知らしめたい、「一豊夫人顕彰会」を作り、活動を始められたという。
一豊夫人の出身地は、従来近江説が定説となっており、与三吉さんの活動も周囲からなかなか理解が得られなかったという。しかしながら、地道な活動が次第に認められ、佐藤とき子先生のような協力者も現われ、川上さんの伯父・川上傳吉氏(故人)が私財を投じ、さらに多くの人々の協力を得て、ついに一豊夫妻銅像の建立となった。与三吉さんは残念ながら銅像完成の直前にが亡くなられたが、朝史さんが後を継いで活動を続けられている。
さて、この銅像の除幕式の際、川上朝史さんは司馬さんに招待状を送ったという。司馬さんは既にスケジュールが入っており、出席することができなかったが、お礼の葉書が朝史さんに届いた。朝史さんは、今も大切に保存されている。
郡上八幡の銅像は、やはり「馬」をモチーフとしている。高知には「千代と馬」と「馬上の武者姿の一豊」の二つの像がありが、郡上八幡の像は、一豊と千代が馬を従えて仲睦まじい雰囲気を出していた。一豊夫妻は勿論のこと、馬も非常に写実的というのか、どの方向から見ても、今にも動き出しそうに見える。
銅像全体(立派な台の上に建っている)
一豊夫人(千代)
後から見ても見事、馬も迫力十分です(2)郡上八幡城
銅像から一方通行の細い道を上ると、郡上八幡城に辿りつく。明治初期に天守閣は失われたが、昭和8年に八幡町の協力で木造で再建された。佐藤先生のお話では、町民の寄付に資金が賄われ、大垣城をモデルにしているという。
険しい山の上にそそり立つ典型的な山城といった感であり、最上階からは八幡の街と周囲の地形が手に取るようにわかる。
現在でこそ、木造再建天守が幾つか建てられている(静岡の掛川城、宮城の白石城、福島の白河城)が、郡上八幡城はそれに先立つ木造再建天守として大いに価値がある。実は、司馬さんも郡上一帯を訪れたことがある。(『街道をゆく4・郡上・白川街道』)
美濃国は、北方は山波をかさねている。その山襞を削るようにして長良川が奔り、上流へゆくほど隠国(こもりく)の観がふかい。
日本の山城の典型のひとつは、長良川上流の郡上八幡城である。
そう信じ、この山の上に日本でいちばん美しい山城があるはずだと思いつつ登ったのは、十五年ほど前で、春のはじめだったために雪が深く、道に難渋した。頂上の天守台へのぼると、高塀に額縁された狭い空間にびっしり雪が降りつもり、その雪の上に四層の可愛らしい天守閣と隅櫓がそこに置かれているように立っていて、粉雪という動くものを透して見ているせいか、悲しくなるほどに美しかった。興醒めるようなことをいうと、この天守閣は、大坂城と同様、昭和初年に模造されたものである。しかし模造も古びてしまえば自然のなかで実在感を帯びはじめるらしく、それとも雪のせいなのかどうか、決して違和感を感じず、いかにも隠国の城といったふうの感じだった。
側面から見た天守
正面、門と天守
(3)慈恩寺
慈恩寺は正式には「慈恩護国禅寺」と称する臨済宗の寺。遠藤慶隆が開基となり、京都の妙心寺より半山禅師を迎えて創建された。
前述の高橋教雄先生や、佐藤とき子先生のお話では、半山禅師を迎えるにあたって、見性院の力添えがあったの ではないかということだった。
慈恩寺には、「てつ草園」という名園がある。佐藤先生、川上さん、重里記者と休みつつ眺めを楽しんだ。
慈恩寺入口(4)古い街並みと宗祇水
郡上八幡城、慈恩寺から再び町中に戻る。全国には古い街並みが保存されている町は数多いが、郡上八幡は町のかなりの部分(ほぼ全域)に古い街並みが残っている。それもただ残っているというよりも、今も人が住み、生活する町として機能しているという点で、全国でも稀有な町だ。
夕暮れ時になり、佐藤先生、川上さん、重里記者と郡上八幡を歩いていると、とても懐かしい気分になってくる。
郡上八幡の街並み
やなか水のこみち郡上八幡は長良川と吉田川が合流する、清流の町としても知られる。町にも水が引かれ、至るところに清らかな水路を見ることができる。
郡上八幡の名物「肉桂玉」(いわゆるニッケ)を買い、脇の細い道を進むと吉田川のすぐ手前に「宗祇水」がある。連歌師の宗祇がこの近くに住み、東常縁の住む篠脇城(現在の大和町)まで通い、古今伝授を受けた。いわば、文化の町・郡上八幡の象徴的な場所でもある。
宗祇水への入口
宗祇水宗祇水の横には町の方が詠んだ連歌が掲示されている。これは宗祇の時代(=室町時代・15世紀)以前より続いている。現在でも郡上八幡では短歌・俳句・川柳などが非常に盛んであり、町の人は何らかの形で文芸に関わっているという。
佐藤先生の言葉が印象に残った。「あなた方が目にする郡上八幡の人たちは、皆歌詠みであり、俳句詠みです」
旧庁舎記念館
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