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獅子文六の故地 岩松へのアクセスと歩き方 |
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大洲の歩き方伊予の小京都と称される水郷・大洲。司馬遼太郎の『街道をゆく 南伊予・西土佐の道』でも詳細に描写されています。まず、大洲の町の概要から考えてみたいと思います。
肱川をはさんで、大洲は二つの地区に分かれます。北側のJR駅がある方は明治以後、新しく開けた町。南側が旧城下町です。
北側は、それほど見所はありませんが、駅の横に観光案内所があり、観光案内図をもらうことができます。また、市の博物館も近くにあります。(私は行くことはできませんでしたが、博物館には復元予定の大洲城模型があるそうなので、お城ファンは要チェックです)
一方、南側には観光の要所が集中しています。大洲駅から国道56号に入り、徒歩で15分程かかります。
肱川を渡って国道56号の右側(西側)には大洲城跡があります。(南隅櫓は少し離れているので要注意) そして左側(東側)には「おはなはん通り」「おおず赤煉瓦館」「臥龍山荘」などがあり、内子同様木蝋で栄えた頃の雰囲気が濃厚に残っています。この地区が大洲のイメージを体現しているといえましょう。したがって、大洲を歩くには、おはなはん通り周辺を中心に歩き、明治の浪漫を感じ、それに大洲城跡や博物館を組み込むようにするのが良いと思います。
伊予大洲MAP
『街道をゆく』と大洲城
数ある『街道をゆく』の中でも『南伊予・西土佐の道』が好きな読者は多いといわれます。大洲もその主要な舞台として登場します。
伊予大洲駅でおりて国道56号を下り、肘川を渡る橋の左手に大洲城跡の一画が見えます。肱川が大きく蛇行した部分の小高い丘ですが、その麓に「景観を台無しにした」と司馬遼太郎に酷評された市の文化会館があります。
私が訪れた時の印象では、この文化会館も建築されて大分年月が過ぎ、それほど違和感は感じませんでしたが、かつてはこの建物の敷地は大洲城の堀だったそうです。もし、この建物がなく、城が肱川と堀に囲まれていたとしたら、本当に絵のような美しさだったことだろうと想像できます。司馬遼太郎は昔の美しい姿を知っているだけに残念だったのでしょう。さて、大洲城は、天守こそ残っていないものの、幾つかの櫓が残っています。まず、文化会館の手前に「苧綿櫓」、次いで文化会館横から本丸に登ると、「台所櫓」と「高欄櫓」。さらに、本丸からは少し離れたところに「南隅櫓」があります。南隅櫓の下は、今は運動場になっていますが、かつてはここも堀でした。後述する「おはなはん」通りが昔の面影を留めているのに対し、大洲城付近は、残念ながら往時とはすっかり姿を変えてしまったようです。大洲は肱川沿いの狭い盆地に開けた町なので、市の中心街に平地が少ないという事情もあったのかもしれません。
上記のような理由でお城ファンにはあまり評判が芳しくない大洲城ですが、大洲市は木造での天守復元を決定しました。昔の写真などからほぼ完全に復元することが可能らしいです。完成するのはだいぶ先のようですが、できあがったら日本初の木造による復元天守になるのだそうです。
愛媛県は松山城、宇和島城と二つの現存天守を持っていますが、大洲城もこの二城に次ぐ名所になるでしょう。
市立博物館にはこの復元予定天守の模型が展示されているそうです。
おはなはん通りと街並み大洲の旧市街、大洲城跡の反対側には昔の面影を色濃く残した地区があります。「おはなはん通り」は、その名の通り、かつてのNHK朝の連続ドラマ『おはなはん』のロケが行われた場所です。(おはなはんの放映は1966年ということで、私も記憶にはないのですが、朝ドラ初期の名作として名高い番組です)
道はL字型に曲がっていますが、かつてはこの道を境に北側が町屋、南側が武家屋敷街だったことの名残なのだそうです。道の途中には休憩所があり、『おはなはん』のロケ写真などが展示されています。おはなはん通りの先に、もう一つ古い通りがあります。かつて大洲が木蝋の集散地として栄えた頃の蔵などが残っています。『街道をゆく』文庫版のカバー写真はこの一画を撮影したものです。おはなはん通り以上に郷愁を誘う街並みで、大洲にきたなら、是非歩いてみてください。
大洲旧市街MAP
おおず赤煉瓦館おはなはん通りの近く、肱川に程近い場所に「おおず赤煉瓦館」があります。『街道をゆく』でにも登場します。今は市の観光センターになっていますが、司馬遼太郎が訪れたときは商工会議所として使用されていました。
煉瓦の壁に囲まれて二つの建物があり、その間にはきれいな中庭(パティオ)があります。通りに面した側の一階では大洲の名産品を販売しており、二階には喫茶室があります。大洲の町歩きの途中で休憩したり、お土産を買ったりと、便利な場所です。
奥の建物の二階にはギャラリーがあり、運が良ければ大洲の町の方の展示会などを見ることができます。私が訪れたときは俳句と写真を組み合わせた展示会が開かれていて、大洲の美しい写真などを見ることができました。また、その向いは旧・油屋旅館。司馬遼太郎が泊まった宿でしたが、現在は廃業、土・日のみ運行する人力車の待合所になっています。
このあたりは特に古い町並みというわけではないのですが、かつての町屋の区画がそのまま残っています。狭い通りに家屋や店が並び、なんとなく人の暖かな生活感を感じさせる雰囲気があって、個人的にはとても好きな場所です。
臥龍山荘おおず赤煉瓦館から東に向かうと、狭い道をゆるやかに上り、その奥に古風な門構えの建物が見えます。これが臥龍山荘。木蝋で財を成した明治の豪商・河内寅次郎が肱川に面した景勝地に、数寄をこらして建造しました。
『街道をゆく』で司馬遼太郎が武家屋敷と間違えて訪れた建物だと思われます。このときは、河内寅次郎の子孫の方がお住まいでした。今は一般に開放され、ゆっくりと見学できます。文章では表現できないほど巧妙な作りで、是非実際に見てください。母屋も見物ですが、私は川に迫り出して建てられている「不老庵」に興味を持ちました。建物の三分の一ほどは、崖下の柱から支えられています。
二宮敬作とイネの故地卯之町(宇和町)は、司馬遼太郎の小説『花神』の舞台の一つになった町で、宇和島市の少し北に位置しています。
ガイドブックなどでは、観光地としてはそれほど強くアピールされていませんが、卯之町は歴史と文化の町。
シーボルトの高弟・二宮敬作が居を構え、一時はシーボルトの遺児、イネが学びにきていました。幕府のお尋ね者になった高野長英も一時、かくまわれていました。後の大村益次郎こと村田蔵六もしばしば訪れています。
そんなことを思いながら中町や開明学校を見て廻れば、一味違う印象を持つかも知れません。
開明学校明治15年に建てられた、二階建て・擬似洋風建築の校舎、教材の掛図のコレクションは全国有数だそうです。現代の鉄筋コンクリートの校舎に比べると、小さく感じますが、明治の頃の小学校の様子を想像できる貴重な建物です。
この開明学校の学芸員の方は、とても優しくて親切です。私が訪れたのは平成10年の6月のこと、建物や宇和町のことなど、丁寧に教えていただきました。
平成12年に、NHK出版の『司馬遼太郎の風景H』や、産経新聞社の「『坂の上の雲』をゆく(上)」が出版され、その中でもここの学芸員の方が好意的に紹介されています。きっと取材された方も、その対応が一際印象に残ったのでしょう。
中町(なかんちょう)の街並卯之町は旧宇和島藩の宿場町として栄えました。
松山と宇和島の間では、内子、大洲なども古い街並みを残していますが、ここ中町は、良い意味で観光化されておらず、それでいて最も良い状態で残っています。家々の間を歩いていると、江戸時代にタイムスリップしたような印象さえ受けます。開明学校と並んで、卯之町の最大の見所です。近くには、高野長英がかくまわれていた家も保存されています。(見学は外からのみ)
米博物館と民具館米博物館は昭和初期に建てられた旧・宇和小学校の校舎を移築した博物館。その名の通り、米についての博物館ですが、注目したいのは、そのしっかりとした木造の校舎。開明学校といい、この旧・宇和小学校といい、この小さな町が教育熱心だったことがわかります。
民具館は、中町に程近い所にあります。私が訪れたときには内部は膨大な民具が収容されて、雑然とした雰囲気でしたが、現在は改装されているようです。
宇和町にはこの他先哲資料館もあり、「学遊切符」という共通入場券で、開明学校・米博物館・民具館と併せて見学できます。
愛媛県立歴史文化博物館宇和町の高台に位置する県立の博物館。伊予の国に関する展示がされていますが、見所は実物大で復元された家屋や街並みでしょう。縄文・弥生から江戸時代に至るまでの、農村や漁村の民家等が復元されています。(香川県・屋島の「四国村」の民家と比較してみると興味深いでしょう)
圧巻は明治期の松山・大街道。街並自体が復元され、市電、うどん屋、薬屋、駄菓子屋と店の内部まで復元されています。
歴史文化博物館へは卯之町駅からバスが出ていますが、歩いていくこともできます。中町の先、先哲記念館の前を左に曲がり少し進むと、右手に小道があり、博物館の裏手に出ます。
游の里温泉・ユートピア宇和卯之町・文化の里からやや離れたところにある、公営の温泉施設です。私が訪れたのは夜だったので、外の景色はみえませんでしたが、野村ダムの景色が一望できるようです。
公共の交通機間は、多分ないと思うので、レンタカーなどがないと行くのは難しいと思います。
入浴料は400円。
400年前の計画都市吉田町は宇和島の北、小さな湾の奥に広がる町です。宇和島藩の支藩としてリアス式海岸の入江が埋め立てられ、河川が引き込まれて人工的に造成されました。当時の町割がほぼそのまま残っているという点では、貴重な都市空間とも言えます。江戸時代を思いながら、町をぶらぶら歩くのも良いかも知れません。
この町もまた、司馬遼太郎の『街道をゆく−南伊予・西土佐の道−』に登場し、また、小説『重庵の転々』の舞台でもあります。大工町の奥の丘の上には小説にも登場する”八人様”の墓もあり、地元の老人会の方々が手入れをされています。
小さな町ですが、宇和島藩とのかかわりなど、歴史的には重要な側面を持った都市です。
司馬遼太郎が訪れた喫茶店もある、とのことです。
国安の郷伊予吉田の中心街から車で5分。山間の静かな谷の中に”国安の郷”があります。ここには、武家屋敷、農家、漁師の家、さらに、豪商”法華津屋”の店部分も修復・移築されています。
この法華津屋は『街道をゆく』にも登場した吉田を代表する商家。司馬遼太郎ファンなら見逃せません。かなりの規模であり、重厚な作りで、見応えがあります。普通、商家というと間口が狭く、奥行きが深いというイメージがありますが、法華津屋はかなり広い間口を誇り、その隆盛ぶりがしのばれます。
司馬遼太郎が愛した町『街道をゆく』の中でも「南伊予・西土佐の道」が好きな人は多いと言われます。それは、司馬遼太郎がこの地域を愛し、描写したからではないかと思います。宇和島はその南伊予の中心都市です。
司馬遼太郎の小説『花神』では、幕末の宇和島藩主、伊達宗城に招聘された蘭学者・村田蔵六(大村益次郎)が、蒸気船を作り上げます。小藩の宇和島が、薩摩・佐賀といった大藩に伍して、独力で蒸気船を作り上げたのは、驚くべきことですが、当時「蘭学なら宇和島」と評されたように、産業振興に力を注ぎ、知的水準も高く、学問好きな土地柄であったことがわかります。
司馬遼太郎は宇和島の人々を「古風な都会人」と評しました。それは、往時の気風が今も残っているからではないかと思います。
宇和島の名所宇和島城
築城の名手・藤堂高虎が築いた城で、現存の天守が残っています。小さいながらも抜群の均整美を誇り、夜は美しくライトアップされます。
天守へは商店街の近く、石丸布団店の横から登るのが一般的ですが、帰りは是非上り立ち門(天守と並ぶ現存建築物)の方から降りてください。城山の中の緑が心地よいし、門を出ると、伊達博物館や天赦園はすぐ近くです。伊達博物館
かつて武家屋敷が建ち並んでいた一角に建つ博物館。教科書などにもよく載せられる豊臣秀吉の肖像画で有名ですが、それ以外にも松江の松平不昧公の甲冑、水戸烈公(斉昭)の刀剣など、貴重な展示物が見られます。
幕末四賢公の一人・伊達宗城を出した宇和島でこれらの展示物を見ると、感慨深いものがあります。天赦園
伊達宗紀が築いた庭園。宗紀は、伊達家の藩祖伊達政宗の漢詩
「馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん」から採って命名しました。
それほど大きな規模ではありませんが、春の陽ざしの中で庭園を眺めていると、ついうとうとしてしまう……そんなのどかな場所です。
山を借景とした眺めが景観のポイントです。和霊神社
宇和島藩草創期の功臣・山家清兵衛を祭った神社です。清兵衛は藩の財政を立て直すため厳しい施政を行い、それが元で殺害されました。しかし、庶民には「善政家」として慕われ、藩もそれを無視できず、神社を建立したということです。
のんびりと宇和島を歩く宇和島は、海辺の狭い平地に開けた町がです。あらかじめ見学コースを決めるよりも、気ままにのんびりと街歩きを楽しみながら、その途中に名所・旧跡を織り込んで見て廻るのが良いのではないかと思います。
参考までに、私のお気に入りの散歩道を上げてみます。辰野川周辺
川を遡ると町中ながら、渓谷のような趣があります。この付近の愛宕町は、のんびりとした古き良き時代を感じさせる住宅街で、この先愛宕山に登ると、宇和島市街が一望できます。
川沿いには西江禅寺があります。司馬遼太郎の『花神』『伊達の黒船』に登場する”提灯屋・嘉蔵”こと前原巧山の菩提寺です。お墓の場所は少しわかりにくいので、お寺の方に教えてもらう方が良いかも知れません。神田川周辺
愛宕山の南側から海に流れる「神田川」沿いは、かつて司馬遼太郎が愛した土地です。当時とはだいぶ雰囲気も変わっているようですが、かつて村田蔵六が住み、オランダおイネが学んでいたのはこのあたり。(今は場所を示す標識だけがあります) 一度は歩いて見たい所です。和霊神社〜須賀川沿い
須賀川沿いも落ちついた街並みが広がります。私は夕暮れ時にこの川沿いを海の方へ歩いて行くのが好きです。
川沿いを海の方へ歩くと、やがて左手に丘が見えます。この手前から左に曲がると、「歴史資料館」と「樺崎砲台跡」があります。近くには港があり、海辺の町といった風情も感じられます。
宇和島MAP
薬師谷温泉私の宇和島でのおすすめは「薬師谷温泉」。市街地から車で15分ほどの所にあります。入浴料は\670(平成11年9月当時)。内風呂も広く充実していますが、渓谷に面した露天風呂が素晴らしい。川のせせらぎと緑の中での温泉は格別です。泉質もなかなかのもの。併設の和食レストランも充実しています。
宇和島駅から直通バスが出ていますが、本数が少ないので、帰りの時間も含めて事前にチェックしておいた方が良いと思います。
司馬遼太郎は”宇和島は最果ての地”と形容しました。確かに予讃線の終着駅であり、この南は険しい地形で隔てられていました。
しかしながら、津島(岩松)、御荘、城辺などの町があり、88ヶ所の巡礼の道にもなっていました。現在もこの宇和島〜宿毛(高知県)の間には、宇和島自動車のバスが運行しています。この地区の交通の概要を少し書いてみます。(1) 幹線と要所
バスの幹線は 宇和島―岩松営業所(津島町)―城辺バスセンター―宿毛 の路線です。
この地方は複雑なリアス式海岸の地形になっており、ところどころ海に突き出た半島の形状をなしていて、上記の二つのバスターミナルが半島等へのバスの発着場になっています。
岩松からは南楽園や田の浦方面へ。城辺からは外泊などの西海町方面へのバスが出ています。(2) バスの頻度と所要時間
宇和島―岩松: バスは頻繁に出ています。所要時間約30分。
宇和島―城辺: 1時間に1〜2本程度。所要時間約1時間15分。
宇和島―宿毛: 1時間に1本程度。所要約1時間45分。
岩松、城辺を起点とする”支線”の運行本数は少ないので、往路だけでなく復路の時間も確認して出かけてください。
獅子文六の故地今や、獅子文六を知る人は少なくなっているかも知れません。戦前から戦後、昭和20〜30年代には圧倒的な人気を誇ったユーモア作家です。私が獅子文六を知っているのも、子供の頃(昭和50年代前半)にで『悦っちゃん』という小説がNHKでドラマ化されて(少年ドラマシリーズ)、原作を読んだからでした。
その後、他の本を読んだことはありませんでしたが、司馬遼太郎夫人のエッセイで獅子文六と小説『てんやわんや』を知り、松山空港で”善助餅”という小説にちなんだお菓子を買ってから、興味を持つようになりました。
獅子文六は戦後間も無い頃、夫人の故郷である津島町(岩松)に二年間滞在し、この地を舞台に『てんやわんや』『大番』『娘と私』などを書いています。
さらに、文六は著作権にうるさかったらしいのですが、自らの名を冠した”文六餅”(大野文六堂)、『てんやわんや』の登場人物の名を冠した”善助餅”(浜田三島堂)を認め、自ら宣伝をかっていたような節もあるようで、毒舌家で知られた獅子文六が、この地に寄せた愛情が並々ならぬものだったことがわかります。
『てんやわんや』は戦後間も無い頃、佐田啓二、淡島千景の主演で映画化され、人気を博しました。岩松でロケが行われ、当時この町では大変な出来事だったことでしょう。現在読むことができる獅子文六の小説ですが、『てんやわんや』は毎日新聞社から復刊され、昨年には新潮文庫でも復刊されました。”大番知らぬは恥”とまで称された、経済小説の原点『大番』(上・下巻)はゼネックスより復刊(発売は星雲社)されています。
岩松へのアクセスと歩き方
(1) アクセス かつては近隣の物資の集散地であり、宇和海の航路の寄港地として賑わった岩松。
岩松へは、宇和島駅前から宇和島自動車のバスで30分ほど。岩松行きの他、宿毛・城辺方面行きも岩松に停車し、全体としてはかなりの本数が出ていて、それほど待たずに乗ることができます。(2) 岩松の歩き方
岩松川を挟んで、西側には宇和島自動車のバス営業所、獅子文六の文学碑、前述の善助餅の浜田三島堂の本店などがあります。
一方、川の東側は旧市街で、古い街並が細長く伸びています。ところどころに江戸時代〜昭和初期の建物が残っており、当時の名残を感じることができます。
前述の大野文六堂には、店や岩松に関する記事の切り抜きが飾られており、岩松の変遷をうかがうことができます。
獅子文六が滞在していた部屋を残す大畑旅館は、豪商・小西家の跡。『てんやわんや』の玉松家のモデルです。大畑旅館は川沿いにあり、前の道は、なかなか良い雰囲気です。全体としては、1時間〜2時間あれば十分にみることができます。私は行きませんでしたが、近くには南楽園という大規模な日本庭園もあるので、こちらと組み合わせて観光するのも良いかと思います。
御荘・城辺のバスの利用(1)宇和島方面より御荘・城辺へのアクセス
愛媛県南部、宇和島以南の土地……鉄道もなく不便な土地に思えますが、宇和島自動車のバスが宇和島−宿毛間を結んでいます。御荘・城辺への本数は1時間に1,2本程度です。
所要時間は宇和島から約70分、岩松から約40分です。(2)御荘・城辺の見所とバスの利用
御荘と城辺は、共に僧都川沿いに開けた町で、中心街はほぼ連続しているような感じです。
この付近のバスの発着は御荘ではなく、お隣の城辺町のバスセンターになります。
御荘・城辺MAP
平城札所前バス停付近
(宇和島方面と外泊方面)見所としては、まず後述の御荘湾ロープウェイ・宇和海展望タワーですが、最寄のバス停は「南レク御荘公園前」になります。ホテルサンパールの横からロープウェイに乗り、馬背山の山頂へ。ここに宇和海展望タワーがあります。
次に名刹・観自在寺。88ヶ所の中の一つです。御荘の街道沿いには多くの旅館が見られ、門前町として発達したのではと思います。バス停は「平城札所前」になります。
最後にお隣の西海町の外泊の集落。海に面した石垣の里として知られていますが、私はバス停を間違えて行き損なってしまいました……(涙)。御荘近辺ではここが最大の目的地だっただけに、残念です。
実は、外泊など西海町へのバスは城辺バスターミナルが起点になっていて、御荘町に入り、「平城札所前」で宇和島方面と外泊方面に分岐します。周辺の宿泊施設は城辺町より御荘町に多いので、平城札所前まで戻ってバスに乗ることになりますが、このバス停が分かれていたのです。これからバスで外泊へ行こうと考えている方のためにも、地図を載せておきます。ご参考に。
御荘湾ロープウェイ・宇和海展望タワー御荘湾ロープウェイは、前述のように「南レク御荘公園前」で下車。ホテルサンパールの横から出ています。四人乗りの小さなゴンドラで、御荘湾の海上を横断してさらに山に上ることもあり、なかなかスリルがあります。しかしながら、このために、展望は絶景です。僧都川沿いのデルタ地帯に発達した御荘・城辺の街並み、御荘湾のリアス式の美しい海岸線などが一望できます。
ロープウェイの終点は馬背山山頂。ここからは宿毛湾が一望できます。このすぐ横に建つ宇和海展望タワーは、搭の周囲をドーナツ型の展望台が回転しながら上って行き、360度の眺望を楽しむこともできます。
すぐ近くには紫電改の展示館もあります。第二時大戦で宇和海に沈んだ戦闘機が引き上げられ、メーカーの手で外装を整えられたものです。