
旅日記 No.23 長崎ぶらぶら節
| 6月9日 愛八が歩いた道 | 6月10日 竜馬が歩いた道 | |||
| 目 次 | PART
1 1.長崎へ 2.ウィングポート長崎 3.眼鏡橋 |
PART
2 4.長崎ぶらぶら節 5.東山手 |
PART
3 6.南山手・版資料館 7.どんどん坂 8.大浦天守堂 9.グラバー園 |
PART
4 10.長崎ぶらぶら節ロケ 11.亀山社中 2.白いかもめ |
| 交通機間 | ?→(JR鹿児島本線)→鳥栖→(長崎本線)→長崎 | 長崎→(JR長崎本線)→鳥栖→(鹿児島本線)→? | ||
旅日記「長崎ぶらぶら節」について
(タイトルは、なかにし礼の小説より)
長崎の歌探しにまつわる、丸山芸妓・愛八と古賀十二郎の秘話……。小説『長崎ぶらぶら節』には、愛八の純で一途、気風が良くひたむきに生きる姿が描かれます。
今回の旅は、一日目は小説の舞台を巡り、二日目は南山手から、坂本竜馬の亀山社中跡を訪ね、途中諏訪神社では偶然にも映画のロケ現場を見ることができました。
長崎ぶらぶら節
なかにし礼『長崎ぶらぶら節』より長崎名物紙鳶揚げ盆まつり 秋はお諏訪のシャギリで
氏子がぶうらぶうら ぶらりぶらりと いうたもんだいちゅう遊びに行くなら花月か中の茶屋 梅園裏門たたいて
丸山ぶうらぶら ぶらりぶらりと いうたもんだいちゅう紙鳶揚げするなら金比羅、風頭山 帰りは一杯機嫌で
瓢箪ぶうらぶら ぶらりぶらりと いうたもんだいちゅう沖の台場は伊王島四郎ヶ島 入り来る異船は
すっぽんすっぽん 大筒小筒を鳴らしたもんだいちゅう
ぶらりぶらりと いうたもんだいちゅう嘉永七年甲の寅の年 四郎ヶ島見物がてらに 魯西亜人がぶうらぶら
ぶらりぶらりと いうたもんだいちゅう
PART 1 6月9日(金) 愛八が歩いた道
今日は、なかにし礼の小説『長崎ぶらぶら節』の舞台を歩く旅に出る。本当は直木賞受賞のほとぼりが冷めてから、と思っていたのだが思ったより早くやってきた。それだけ魅力のある小説なのだろう。
朝7時半頃目が覚める。食事を済ませて9時半頃の博多行き特急に乗る。熊本−長崎往復の企画切符を購入。途中乗車の形になる。
10時頃鳥栖駅に到着。10時20分発の「かもめ」に乗車しようとホームで待つ。その間、ホテルウイングポート長崎に電話を入れ、部屋を予約する。
ベンチに座っていると、和服のおばさんたちが集団でやってくるので、移動して席をずらすと、「ごめんなさい、無理強いしたみたいで。オバタリアンは強いわよね。」と自分たちでその強さを認めている。
せんべいをもらうが、あまり関わりたくないので寝たふりをする。今日は曇り空で暑くもなく、眠気を誘われるような天候。本当にウトウトしてしまい、気がつくと新型の白い「かもめ」が出発している。
「しまった」と悔やむが調べてみると、20分後に別の特急が来るようだ。今度は寝ないようにして待つ。
後続の特急が到着する。旧「有明」のハイパーサルーンだ。テレビで盛んにコマーシャルを流している新型の「かもめ」に乗ってみたかった……残念だ。列車は海岸線を走り、12時半近くに長崎駅に到着する。
長崎は、大学時代に友人と訪れ、その後四年前、二年前と訪れ、今回が四回目になる。いずれにしても思い出深い町だ。
列車は12時半頃長崎駅に到着。駅は建替えの最中。工事中の駅舎を出ると、「JR九州ホテル、9月オープン、予約受付中」とある。シングルで6,000円(税別)と出ている。駅前の歩道橋の上に登ると、駅前のホテルが見える。二年前は\7,000だったが、今は\4,800〜と垂幕がが出ている。別のホテルは\5,600〜と表示されている。長崎も本格的なホテル競争に入ったようだ。
昼御飯を食べようと思い、四年前に宿泊した近くのAホテルのレストランに入る。弁当スタイルの和食を取るが、駅前のビジネス街ということもあり、結構繁盛しているようだ。ロビーには長崎の観光マップが置かれており「長崎ぶらぶら節 散策マップ」もある。丸山の地図と旧跡が紹介されていて、便利なパンフレットを見つけることができた。
食事を終えて、宿泊するウイングポートへ。部屋は9階でそれほど広くはないが、セミダブルベッドが置かれ、清潔に保たれている。窓からは山肌に広がる長崎の町が間近に見られる。
ガイドブックや散策マップを見て、今日の日程を決める。まずは丸山に向かい、愛八の足跡を辿る。次いで隣接する東山手のオランダ坂等を見ることにする。
小説の舞台、丸山へ。市電に乗らず、長崎の街歩きを楽しむ。立山の麓に沿った道を進む。突き当りには県立美術博物館がある。ここから左に曲がると坂道になる。二年前に通った道だ。このまま進むと道が細くなり、立山へと上る石段になるので、引き返して諏訪神社の前に出る。長崎最大の祭り「おくんち」の舞台。
神社の前から市電の通りを越して中島川を渡ると、幾つかの石橋が見られる。昭和の長崎大水害で流された橋も多いが、旧状に復している。江戸時代、石橋をかけるのは大変な費用がかかったと思う。唯一の貿易港として繁栄した長崎の豊かな財力がうかがわれる。
再び中島橋を渡り、しばらく進むと眼鏡橋が見えてくる。ツアーの観光客が立ち寄り盛んに写真を撮っている。私もその中に紛れて私も写真を撮る。
眼鏡橋
この先中島川から離れて、風頭山沿いの道を歩く。商店街からやがて大きなアーケード街に入る。途中で書店に立ち寄ってみる。長崎の郷土本のコーナーでは、おらんだおイネの出生に関する新説が紹介されている。
従来の定説は、「イネの母タキは丸山の遊女であり、シーボルトが見初めた」というもので、『長崎ぶらぶら節』にも登場する在野の学者・古賀十二郎に研究に拠る。
新説では「タキは商家の娘で、一般の日本人が入れなかった出島にいるシーボルトに会いにいくために遊女の形をとった」となっている。抱えの店からタキに給金が払われた形跡はなく、そこから実際には遊女でなかったことが推測されているようだ。
アーケードを抜けると正覚寺下の市電の通りに出る。左へ進むと「思案橋」電停。ここが丸山、の舞台への入口となる。
『長崎ぶらぶら節』
なかにし礼による平成十一年度直木賞受賞作。長崎地方の著名な民謡「長崎ぶらぶら節」発掘にまつわる秘話、丸山芸者・愛八と長崎学にその名を残す古賀十二郎の歌探しが綴られる。
愛八こと松尾サダは、明治七年、長崎市街から山一つ越えた網場の町に生まれる。網場は痩せた貧しい土地で、松尾の家も貧しく、サダは十歳で丸山に売られていく。
美人とはいえない愛八だったが、確かな芸と気風の良さで「丸山五人組」ともてはやされ、いつしか「名妓」と呼ばれるようになる。
そんな愛八もやがて五十代に近づき、芸者稼業に疲れを覚えてきた頃、古賀十二郎と運命的な出会いを迎える。古賀は江戸時代から唯一の海外への窓口であった長崎の民俗を丹念に探り出す在野の学者だった。
愛八は古賀に一目惚れし、古賀も愛八の欲得が無く、それでいて暖かみのある歌に惚れこむ。愛八は古賀の「な、愛八、おうち、おいと一緒に、長崎の古か歌ば探してあるかんね」という言葉に奮い立ち、唄探しの作業を手伝う。足掛け三年に及んだ唄探しは、名曲「長崎ぶらぶら節」を探しあてたところで区切りがうたれる。
それから三年が経った。ふとしたことから愛八は故郷・網場を訪ね、弟から自分が炭坑から逃げてきた夫婦の子供で、松尾の家に拾われ育ったことを告げられる。複雑な感情を抱いていた故郷や家族から切り離された悲しみと、解放感の中、愛八の中で一つの唄が浮かび上がる。
愛八は久し振りに古賀を訪れ、二人は「浜節」を共作するが、愛八は可愛がっていた舞妓の少女・お雪が肺病を病んでいることを知る。
稼ぎのすべてをお雪の治療費に充てていた愛八に、ふって湧いたような話しが舞い込む。詩人の西條八十が民謡探しの旅で長崎を訪れて愛八の「長崎ぶらぶら節」に惚れこみ、愛八は上京してレコードを吹きこむ。愛八は長崎でも知らぬ者のない有名人となり、長崎中の芸者が長崎ぶらぶら節を歌い、この唄なしではお座敷は始まらぬと言われるようになる。
愛八はお雪に持てる力のすべてを注ぎ、丸山の梅園天満宮にお百度参りをする。二年経ち、お雪は全快するが、愛八は自分の役目を終えたような虚脱感を覚え、座敷にもほとんど出なくなる。ある日断り切れなかった昼の座敷をつとめた後、意識を失い倒れる。
物語はお雪の独白で始まり、終わる。序章では諏訪神社での「おくんち」の場面、現代に生きる「長崎ぶらぶら節」の姿が綴られる。そして最後は愛八の葬儀の場面が描かれる。
葬式の後、宵越しの金を持たなかった愛八にふさわしい精進落としを、と参列者は花月にのりこむ。どんちゃん騒ぎの中、古賀十二郎をはじめ、人々が泣き笑い、踊り歌う。