
旅日記 No.27
和歌山・姫路の旅
| 平成12年 | 10月12日 和歌山 | 10月13日 姫路 | |
| 目 次 | PART
1 1.久し振りのJAS 2.紀の国 3.市堀川 4.和歌山城 |
PART
2 5.県立博物館 6.紅葉谷庭園 7.リマの女性心理学者 8.ヨハネスバーグの思い出 9.日本海溝の話 |
PART
3 10.コンキスタドール 11.姫路 12.好古園 13.姫路文学館 14.スリリングな体験 |
| 交通機間 | 福岡→(JAS520)→関西空港 →(南海電鉄)→和歌山→(JR)→大阪 |
大阪→(JR新快速)→姫路→(JR) →大阪→伊丹空港→(JAS605)→福岡 |
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旅日記「和歌山・姫路の旅」について
久し振りに都会の空気を吸いたいと思い、大阪に宿泊して和歌山と姫路を訪れることにしました。
初日は関西空港より和歌山へ。日本三大連立式平山城の一つである和歌山城と県立博物館を訪ね、大阪の知人N氏と再会します。
翌日はN氏と姫路に行き、TVドラマ暴れん坊将軍のロケに使用されるという好古園と、司馬遼太郎記念室がある姫路文学館を訪れました。「旅日記 紀ノ川」はN氏と「すし冨」様の御理解と暖かい励ましにより公開することができました。心からの御礼を申し上げます。
PART 1 10月12日 和歌山
午前6時前に起床する。旅行に備えて早めにベッドに入ったが、午前2時頃まで眠れず、やや睡眠不足。もう10月半ばで、早朝は少し肌寒く感じる。7時半発の空港バスに乗車する。
福岡空港へは、定刻通りに到着し、第二ターミナルのレストランでモーニングを食べる。
9時55分発のJAS520便MD90型機に搭乗する。久し振りにJASを利用することになった。機内誌「アルカス」も懐かしい。
瀬戸内の島々や海岸線を見下ろしながら飛行機は進み、やがて大阪湾の埋立地が見え、関西空港へ。飛行場を出て隣接する南海電鉄のターミナルへ直行する。急行電車に乗り二つ目の泉佐野駅で乗りかえ、和歌山へ。待ち時間も殆どなく、スムーズに急行電車に乗りかえることができた。途中、岬公園駅周辺では海岸線も見え、12時ちょうどに「和歌山市駅」に到着する。
和歌山を舞台にした小説というと、有吉佐和子の『紀ノ川』が思い浮かぶ。明治から昭和にかけての女三代の歴史を描き、和歌山の風土が濃厚に描かれている。
旧家の矜持を守り明治から昭和まで生き抜き、紀ノ川のような強さと生命力を持ち続けた「花」。花の娘で大正デモクラシーの時代に育ち、伝統(=母)にことごとく反抗する「文緒」。文緒の娘で海外で育ちながらも感受性豊かで「花」と心の交流を保ち続け、第二次大戦を挟んで昭和を生きる「華子」と女三代の歴史が綴られる。
女性で故郷を描いた作家というと、高知の宮尾登美子が思い浮かぶが、有吉の「紀ノ川」は一見ゆったりとしながらも、描写は力強い。
和歌山は黒潮文化圏と言われ、民族的には薩摩、土佐と共通するというが、『紀の川』の舞台は和歌山北部、大阪や奈良に近い地方であり、上方文化圏の一部のような印象を持つ。小説の中でも「花」の娘は奈良や大阪の名家へ嫁いでいる。また、温暖な気候に恵まれ豊かな土地柄であることから、比較的おっとりしていて穏やかにも感じられる。
和歌山出身の人物というと、八代将軍吉宗、麻酔により乳癌を摘出した華岡青洲、さらに生物学の巨人南方熊楠が思いつく。いずれも派手ではないが、独創的でスケールの大きさを感じる。特に南方熊楠は異界の人、神秘の天才といった感じがして、紀の国の風土を体現した人物のように感じる。
和歌山市には主要な駅が二つある。南海電鉄本線が乗り入れる和歌山市駅は海岸近くに位置し、JR阪和線−紀勢本線は和歌山駅に乗り入れる。この二つの駅の間が市の中心街となっていて、両駅はJRの短い路線で結ばれている。
和歌山市駅よりJRで和歌山駅へ行き、荷物を置いて市内見学や温泉行く予定だったが、地図で見ると和歌山市駅の方がお城や博物館には近いようだ。和歌山市駅のロッカーに荷物を置いて駅を出る。
和歌山市中心部には市堀川が流れている。藩政時代は城の外掘りの役目も果たしていた。駅前の大きな道からこの市堀川へ向かう。
途中、駐車場の一角に「南方熊楠生誕地」の碑がある。和歌山が生んだ天才的な生物学者だが、狭小な学問の枠に収まらない学者であり、紀の国が輩出した最も存在感のある人物だと思う。偶然だが見つけることが出来て良かった。
市堀川沿いの道を南へ進む。寄合橋を過ぎ、川は直角に東へ曲がる。城北橋のあたりから設けられている川辺に遊歩道に下りて歩くが、隣接するビルの冷房の熱気でむっとする。10月半ばというのに蒸し暑い。
中橋を過ぎ京橋へ。ここで南へ方向転換する。道端には「京橋門跡」の碑がある。昔はここからが三の丸だった。やがて和歌山城の堀が見えてくる。
南方熊楠生誕地 和歌山城東堀
4.和歌山城
和歌山城というと紀州徳川家が思い浮かぶが、本格的に築城をはじめたのは、秀吉の弟・豊臣秀長で1585年のことだった。城造りの名手・藤堂高虎も普請奉行に名を連ね、桑山氏が城代として入城した。
関ヶ原後に入った浅野幸長は天守を造営し、現在の姿に整えられた。その後浅野氏は広島へ転封となり徳川家康の十男頼宣が入る。大改修が行われ、順次拡張されていった。天守も築城時は板張だったが、後白壁となった。
さて、一の橋を渡り大手門を抜け城内へ進む。一中門跡を過ぎると石垣があり、左手の裏坂登り口へと進む。右手には二の丸庭園が広がり、人々がくつろいでいる。
石段を進むと本丸裏門跡へ。山頂は東西に二つの高台がある。東の本丸跡は、浅野氏時代は藩主の邸宅だった。徳川氏時代には使用されなくなり、現在は給水場になっている。
西側の高台には連立天守群が見える。入場券を購入し天守郭へ登る。門を入ると比較的広い内庭が広がる。同じ連立式平山城の姫路城や松山城では郭内の面積はそれほど広くなく、庭の様相は呈していなかった。しかし和歌山城の天守以外の櫓は上記の二城に比べて小さい。姫路や松山は連立天守群が長方形を成していたが、ここ和歌山城では山頂の形状にそって四方に天守と櫓を建て、回廊でつないだような感じもする。
内庭を進むと正面に小天守があり、入口になっている。ここからすぐ横の大天守へと進む。和歌山城天守郭は明治以後も残っていたが、1945年空襲により惜しくも焼失した。この場面は有吉佐和子の小説「紀ノ川」の描写が印象的だ。小説では戦災を逃れて、和歌山市の近郊、六十谷へ一族の女・子供が集まっている。
和歌山はのんびりとしていると文緒はいったけれども、和歌山市は六月に入ると頻繁に敵機の来襲を受けるようになった。そして七月十日深更、和歌山市外は大空襲を受けて殆ど壊滅してしまったのである。
六十谷でもその夜は大混乱だった。
「防空壕は、あかんでッ。山出の方へ逃げるんじゃあッ」
「荷さげて遅れんなよッ」
「山出へ行け、山出へにげるんじゃッ」
隣り組長たちが字中を連呼した廻った。花は華子の手を握り、文緒と市とはそれぞれ二人ずつ子供の手を握って、畦道を無我夢中で新池をつたって北山の方へ避難した。
「うわあ、燃えてるわ」
「近いなあ、六十谷へも来るやろか」
「分からんでえ」
火の海になっている和歌山市は、六十谷から見れば焔が煮えたっているようだった。全体が赤い中で、和歌山城が黒い陰影になったり焔光を浴びて赤くなったり、高くで揺らめいて見えていたが、すぐに燃え始めた。
「ああ、お城が……」
文緒がいったとき、花も見ていた。天守閣が火を吹き上げている。怒りをこめて空を灼き、燃えさかり、燃え狂い、やがて一瞬にして崩れ落ちた。
「おばあさま」
華子が愕いて叫んだ。彼女の手を握っていた花が、よろりと動いて土の上に膝をついたのである。
「大丈夫ですえ」
声だけはしっかりしていた。有吉佐和子『紀ノ川』より
三層三階の大天守へ進む。面積・高さは松山城と同じくらいのように思われる。1958年(昭和33)外観は忠実に復元されたが、コンクリートの天守は味気ない。だが最上階から眺めると、連立天守の構造がよくわかり、北西方面には紀ノ川の大きな流れが見える。
天守から降りて連立郭内の通路を進み、ニノ門櫓、乾櫓と巡り小天守脇から外に出る。門より外に出て天守郭の外側を一周する。本丸の南側を進むと、東堀と、城内で唯一残った古建築岡口門が見える。表坂登り口より降りて岡口門を眺める。
南の丸の跡には動物園がある。門は開放されており無料のようだ。中には鹿やしまうま等、かわいい小動物が飼われていて家族連れで賑わっている。そのまま天守郭の下、南側を進み、ぐるっと廻り追廻門へ。
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| 和歌山城天守 | 天守からの眺め |
遥か紀ノ川を望む
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| 唯一残った古建築・岡口門 | 和歌山城見取図 |