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旅日記 No.25

尾道放浪記・広島の夏

 
平成13年4月1日UP

平成12年 8月5日 尾道放浪記 8月6日 広島の夏
目  次 PART 1
1.尾道へ
2.しまなみ交流館
3.海が見えた、海が見える
4.志賀直哉旧居
5.千光寺
PART 2
6.文学の館
7.ロープウェー
8.映画資料館
9.転校生
10.ほっと蔵
11.芙美子通り
12.オリエンタルホテル
PART 3
13.福山城
14.草戸千軒
15.再会
16.お好み村
17.平和記念資料館
18.甘党H
交通 博多→(新幹線)→福山→(山陽本線)
→尾道→(
山陽本線)→福山
福山→(新幹線)→広島
→(新幹線)→博多

 

旅日記「尾道放浪記・広島の夏」について

 東京にいたころ(約8年前)仕事上の関係先の方で、大変お世話になった、Jさんという方がいました。その後私は福岡に戻り、Jさんも2年程して広島に転勤されて、一度は会いにいきたいと思いながらも広島と福岡という微妙な距離のために会いそびれていましたが、意を決して訪ねることにしました。
 今回は土・日の旅ですが、夏休み中でJさんも御家族と予定があるのではと思っていましたが、電話を入れると日曜日が都合が良いとのこと。
「子供が大きくなったので遊んでくれませんよ」ということでした。Jさんと東京で最後に会ったのが、8年前、年月が経ったことを実感しました。
 広島のホテルを予約しようとしましたが、原爆慰霊祭の日でどこも満室。そこで福山のホテルを予約。土曜日は映画と文学の町・尾道を訪れ、翌日広島で途中下車してJさんに会いにいくことになりました。

PART 1

8月5日(土) 尾道放浪記

 

1.尾道へ

 8月5日、午前6時頃起床。やや睡眠不足の中での旅立ちとなった。8時40分頃博多発のHIKARI RAILSTAR に乗車し、10時半頃福山駅に到着。
 福山は人口
40万近く、広島県東部の中心都市であり、岡山市と広島市の中間に位置して、独立した県庁所在地にもなれる位の規模がある。
 新幹線のホームからは福山城の門と伏見櫓が見える。一度駅から出て、北口のオリエンタルホテルへ向かい、荷物を預かってもらい、再び福山駅へ。
 岩国行きの快速に乗り
20分程すると、海沿いに町が開けてくる。尾道水道の向こうには向島が迫り、日立造船の工場も見える。その間にはしまなみ街道の橋も見える。

2.しまなみ交流館

 尾道の駅のすぐ前には海が広がる。左手には昔ながらの商店街が連なり、右手は新しく整備されたバス乗場、デパート、ホテル等が新しく整備されていて新旧が錯綜している。
 その新しい建物の一画には観光案内所・しまなみ交流館がある。地図を入手する。尾道は大林宣彦監督の一連の映画でも知られる。私は特に、大林映画のファンというわけでおないが、『転校生』は一際印象深い。その舞台を見るのが尾道を訪れる第一の目的だった。
 交流館には大林映画ロケ地めぐりのパンフレットも用意されている。詳細な地図というより、イラスト中心のイメージ型の構成になっている。『時をかける少女』に出演した原田知世のコメントが印象的。「私が育った長崎に似ています。だって尾道は海と山と坂の街という感じで……」
 ソファに座り、どこから見て廻ろうかと考える。『転校生』の舞台と、林芙美子や志賀直哉の足跡を辿りたいのだが、まず地図に沿って古寺めぐりの路を進む。

3.海が見えた、海が見える

 尾道は海に沿った細長い平地が市街地となり、それを囲むつの山の中腹にまで町が広がる。駅前から左手に進む。商店や映画館が連なる。角には3階建のレトロなビルがあり、昭和3040年代を思わせる。いったん海岸に出てうずしお小路を通り、アーケード街の入口へ。林芙美子の像がある。

尾道駅前 林芙美子像

「海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい、……」
 『放浪記』の一節が刻まれている。
 アーケードの北側にはJRの線路があり、それを越えると坂道の町が広がる。はるか前方には『転校生』で一美となった一夫が自転車で一気にかけのぼった、スロープ状の陸橋も見える。
 さて、石段を少し上ると二階井戸がある。かつて尾道は港町として栄え、すでに江戸時代には平地だけでは市街地が足りなくなっていた。二階井戸は山側の家に住む人々のために少し高い場所に掘られた。
 さらに石段を上ると独特の山門を持つ持光寺へ。ここから海福寺へと東へ進む。細い路地に民家やアパートが並ぶ。地図にある道より一つ線路側の道を進んでしまったようで、少し戻りながら境内へ辿りつく。
 この先、時折上下するような小高い道を進む。陽射しが強く、かなりの暑さだ。やがて吉備津彦神社と宝土寺に出る。境内からは尾道の海が見える。

『転校生』の陸橋 二階井戸

 

4.志賀直哉旧居

 宝土寺の奥に、おのみち文学の館への標識が出ている。尾道は志賀直哉、林芙美子といった文学者ゆかりの町でもある。
 道を進むと、かなり長い石段の途中に出る。次第に石段を登るのが苦しくなってくる。上りきって、さらに細い石段に入る。途中で「志賀直哉旧跡」の標識があるので左に折れて
分ほど進むと、小さな公園がある。この中に石段があり、上ると、右手上に志賀直哉旧居が見える。建物の外側を見て、左手の入口から中へ進むみ、観覧料を払う。
 入口付近はロビーのようになっていて、隣りに六畳の座敷がある。その奥が志賀直哉が住んでいた部屋で、六畳間と三畳間に土間がついている。畳には上がれないが、眺望に恵まれた部屋であることがわかる。
 管理人の方のお話をうかがう。始めは入口のベンチに腰掛けていたのだが、私が汗をかいているのを見て、
「こちらの方が涼しいですよ」と冷房がよく効いた座敷に腰掛けるように案内される。
 今は、この建物はきれいに改装されて間取りも変更されているが、元は粗末な三軒長屋で「六畳間+三畳間+土間」が三つ入っていた。入口付近が一軒目。隣りの私が腰掛けているあたりが二軒目。志賀直哉の部屋が三軒目となる。
 志賀直哉は父と不和になり、しばらく家を出ていた。始めは東京・京橋の旅館にいたが、友人が景色を褒めていた尾道に転居することになった。だが尾道にどしても住みたかったというわけではなく、ただ父親から離れたかっただけらしい。尾道について荷物が送られる間、松山の道後や広島を訪れ、家を探したが見つかないので戻ってきた。
 粗末な長屋であったため冬は寒く、当時普及し始めたガスで暖房をとった。その使用量は、大きな料亭に次いで、尾道で二番目だった。また転居に際しては、自費出版の費用として父親からもらっていた大金を持参している。父との不和に悩み、後の『暗夜行路』の構想を練った日々だったというが、経済的には気楽な立場だった。尾道でもあちこち旅をし、この長屋にいたのは正味
ヵ月間ほどらしい。

 

 謙作の寓居は三軒の小さい棟割長屋の一番奥にあった。隣りは人のいい老夫婦でその婆さんに食事、洗濯その他の世話を頼んだ。(中略)
 彼の家は表が六畳、裏が三畳、それに土間の台所、それだけの家だった。畳や障子は新しくしたが、壁は傷だらけだった。彼は町から美しい更紗の布切れを買って来て、そのきたない処を隠した。それで隠しきれない小さい傷は造花の材料にする繻子の木の葉をピンで留めて隠した。兎に角、家は安普請で、瓦斯ストーヴと瓦斯カンテキとを一緒に焚けば狭いだけに八十度までは温めることが出来たが、それを消すと直ぐ冷えて了う。寒い風の吹く夜などには二枚続の毛布を二枚障子の内側につるして、戸外からの寒さを防いだ。それでも雨戸の隙から吹き込む風でその毛布が始終動いた。畳は新しかったが、台が波打っているので、うっかり坐りを見ずに平ったいらっきょうの瓶を置くと、倒した。その上畳と畳の間がすいていて、其処から風を吹き上げるので、彼は読かけの雑誌を読んだ処から、千切り千切り、それを巻いて火箸でその隙へ押し込んだ。
 こう云う東京とは全く違った生活が彼を楽しませた。彼は久し振りに落ちついた気分になって、計画の長い仕事に取りかかったのである。それで彼は自分の幼時から現在に至るまでの自伝的なものを書こうとした。

志賀直哉『暗夜行路』より

 

 座敷には瓢箪が飾られている。『清兵衛とひょうたん』は四国に渡る船の中で聞いた話がもとになっているらしい。ひょうたんに熱中する主人公に父親が文句を言うという筋書きだが、実は「ひょうたん」は志賀直哉にとっての「文学」であり、この話に父との関係が暗示されているそうだ。
 管理人の方は講釈のように説明を組みたてていらっしゃるようだ。このお仕事が好きなのだろう。見学者が記念撮影をしていると、進んでシャッターを押していらっしゃる。
 志賀直哉旧居を出て石段を下ると、左手に切り絵の店がある。尾道の風景を美しく表現していて、買い求める。

志賀直哉旧居 志賀直哉の部屋 志賀直哉旧居見取図

 

5.千光寺

 元の長い石段へ出る。ここから少し上るとおのみち文学の館に出るはずなのだが、標識を見落としたのだろうか、そのままずっと石段を登る。
 途中暑さと疲労で足が重くなってくる。もう午後になっている。朝6時過ぎの早めの朝食から時間が経ち、空腹になっているのも影響しているようだ。流れる冷や汗で体調が悪くなってきているのがわかる。どうにか上り千光寺公園へ出る。この石段は志賀直哉も印象に残っているらしく、『暗夜行路』にも出てくる。

 

 漸く千光寺へ登る石段へ出た。それは幅は狭いが、随分長い石段だった。段の中頃に二三件の硝子戸を閉め切った茶屋があって、どの家にも軒に千光寺の名所絵葉書を入れた額が下っていた。段を登り切って、左へ折れ、又右へ少し、幅広い石段を登ると、大きな松の枝に被われた掛茶屋があった。彼はその床几に腰を下ろした。

志賀直哉『暗夜行路』より

 

 寺への石段の前で自動販売機があるので、ジュースを買って一休み。これからの道筋を考える。尾道は町の概観がつかみにくい。ここ千光寺は山の頂上にかなり近づいている。このまま登ってロープウェーで降りてもよいのだが、それでは再び文学の館まで上らなければならない。この暑さと体調の悪さを考えると避けたい。ここで

  千光寺→町へ降りて食事→ロープウェーで山に上って下りる
   →おのみち映画資料館
     →御袖天満宮とタイル小路(大林映画の舞台)

 という道筋を練る。

 さらに千光寺への長い石段を登る。再び冷たい汗が出てくる。やや太った女の人も苦しそうに、休み休み、石段を登る。お互いに目で「暑いですね、疲れましたね」と挨拶を交わす。
 やがて千光寺が見えてくる。本堂は山肌に迫り出すように建っている。尾道には数多くの寺院があるが、この千光寺は海岸沿いの町からもよく見え、尾道のシンボルになっているような気がする。また、尾道の寺は外観には赤が目立ち、心なしか中国風の感じがする。
 本堂から町を見下ろす。とにかく暑いので、奥のほうまで見学せずに、石段を下りる。脇には中村憲吉旧居がある。公園には何軒かの貸し座敷が見える。閉鎖されているようだが、ここは桜の名所らしい。花見の頃には使用されるのだろうか。

 

千光寺 坂の町・尾道

 

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