
旅日記 No.31 広島・柳井編
少年の悲哀
| 平成12年 | 6月11日 広島 | 6月12日 柳井 | |
| 目 次 | PART
1 1.広島へ 2.京橋川 3.縮景園 4.広島城天守 5.広島城二の丸 6.アストムライン 7.再び京橋川 |
PART
2 8.山陽本線 9.むろやの園 10.国森家 11.白壁の町 |
PART
3 12.国木田独歩旧居 13.少年の悲哀 14.置土産 |
| 交通 | 博多→(新幹線)→広島 |
広島→(山陽本線)→柳井→(山陽本線) →徳山→(新幹線)→博多 |
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旅日記「少年の悲哀」について
(タイトルは、国木田独歩の小説より)
桃山時代〜江戸時代初期、山陽路には有力大名が配され、大型の天守が建造されました。今まで姫路城、岡山城、福山城と見てきましたが、今回は黒田官兵衛が設計し、毛利輝元が心血を注いで築いた名城・広島城に行きます。
翌日は国木田独歩ゆかりの町・柳井を訪れます。白壁の町並みが保存され、懐かしさを感じる町でした。
PART 1 6月11日(月) 広島
1 広島へ
今月は6月11日と12日が連休だ。あいにく11日は月曜日で博物館などがお休み。そこで、月曜日も見学できる施設が多い広島を訪れることに。
昨年夏も訪れたが、広島城は見ておらず、さらに白壁の町・柳井(山口県)も訪れてみたかった。昨年11月にも計画を立てたが、歯痛で断念した。この機を利用して訪れる。
さて、6月11日になる。前日の天気予報では雨天と予報されていたが、快晴。ネットでホテルを予約する。中心街にも近く、京橋川に面したホテルが安く、利用者の感想も良いので予約。
初日は縮景園やお城など、広島をのんびりと見て回り、二日目は柳井を歩いてそのまま山陽本線と新幹線を乗り継いで帰ることにする。
『ちゅらさん』を見て、ややゆったりと準備をして8時55分頃家を出て、9時10分頃駅に到着。広島までの往復乗車券と片道の特急券を購入して、9時30分発のつばめに乗車。博多駅ではひかりの出発まで30分近く待ち時間がある。のぞみはもうすぐ出るようだ。そこで、奮発してのぞみの指定券を購入。今までのぞみには乗ったことがなかった。
列車内はひかりに比べて目だった違いはないが、やはり速いようで、1時間少々で広島に到着。
2 京橋川
広島の交通機間といえば、市電が思いつく。JR駅から市の中心街までは、今までは市電を使うことが多かったが、今日はホテルまで歩いて行こうと思う。
地下道を通り、駅前大通へと出る。しばらく歩くと市電の通りに出る。京橋川を渡ると、ホテルが見える。河畔は公園風になっており、ほんの一、二分歩くとホテルの前につく。フロントで荷物を預かってもらう。
時刻は11時45分くらいになっている。フロント横のレストランでステーキランチの昼食を取る。お値段は税込で\840。河畔に面した側のカウンター席に案内される。ホテルの一階は、河畔より少し低くなっており、川は見えないが、それでも緑が視界に入り、開放感がある。
入ったときは、席はまばらだったが、料理が出てくる頃から席が埋まり出す。食事を終えたときにはほぼ満席になっていた。
レストランを出て、縮景園に向かって京橋河畔を歩く。やや暑いが、水面の近くを歩くのは心地が良い。ちょうど12時すぎで、弁当を持ってきて、食べている人もいる。川に面して、野外に席を出しているレストランもあった。
やがて栄橋のたもとに出る。ここから西に向かうと、縮景園前に出る。
3.縮景園
縮景園は広島に入国した浅野長晟(ながあきら)によって、元和六年(1620)に築かれた。園の名は一つの庭園の中に多くの名勝を縮めて表現してことによる。原爆によって壊滅したが、戦後復興された。
入口をそのまま進むと清風館という書院造りの建物に出る。その横を抜けると、池が広がっている。正面には大きめの橋(跨虹橋)が見えるが、途中まで進むが引きかえし、そのまま右手に進む。幾つかの連なった小さな石橋を渡る。池に直接土台が据えられた「悠々亭」という湖上の東屋がある。
清風館 跨虹橋
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| 悠々亭 | 園内の小山からみた縮景園 |
この背後は小高い土地になっており、その一画には斜めに立つ大木がある。広島に原爆が投下されたとき、縮景園の木々の多くは燃えてしまったが、ごく少数の木は残った。この木はその一つであり、爆風で木が斜めになってしまったのだという。
小山の背後は京橋川になっており、川の向こうには市街地が見える。ここで順路から外れ、薬草園という一画にすすむ。その名の通り、薬草が栽培されていた。再び悠々亭の方に持度利、湖畔を進む。それほど大きな園ではないが、かなりアップダウンがある。恐らく、限られた敷地の中で景観に変化をつけるためのものだろう。「明月亭」「夕照庵」と進み、「超然居」という東屋で一休みすしてフィルムを入替える。やや暑い日だが、池から吹いてくる風が心地良い。
再び清風館の前に出て、入口横の清風池のあたりを一回りする。紫陽花などの花が美しい。他の人のカメラを見ていると、結構デジカメを持っている人も多いようだ。私のAPSカメラもそろそろ買い換え時だろうか?
縮景園 原爆で斜めになった木
4 広島城天守
縮景園を出て西へ進む。五分程歩くと広い堀の前に出る。右手にテレビ局が見え、その手前から城域に入る。広島城には二つの入口があるが、こちらは裏門のようだ。
堀を渡り、さらに進むと一段高くなった部分に入る。多くの木々が植えられている。見ると礎石がある。明治期、日清戦争時の大本営跡だという。
大本営跡 さらに進むと木々の間から広島城の天守が見えてくる。下見板張りだが、岡山城のような漆黒ではなく、やや茶色がかった外観で典雅な印象を与える。
天守は城域の北西の角に建っている。天守台の南側と東側には櫓台が残っている。往時は、堀に面して二つの小天守をL字型に従えた連結式天守だったという。形状的には松本城に似ていたのではないかと思う。明治以後、小天守は破却され、残った天守も原爆で倒壊した。このとき、天守は横倒しになったが、燃えてはいなかった。したがって、その資材を利用して再建することは可能だったらしいが、戦災で苦しむ人々の燃料として使用されたという。資材が残されていれば、とは思うが、状況を考えれば誰も責めることはできないだろう。
現在の天守は昭和32年、鉄筋コンクリートで外観については忠実に復元された。二重の入母屋の上に二層の上層部分、さらにその上に望楼部分が乗り、五層五階となる。前期望楼型の天守と分類されるが、かなり規模は大きく、外観と内部の階数も一致し、比較的垂直に近い角度で立ちあがる。前期望楼型天守の中でも最も発達した天守の一つであり、姫路城や熊本城などの後記望楼型天守につながるのではないかと思う。
広島城(正面・南側より) 広島城(堀の外側・西側より) 秀吉の聚楽第を意識したということもあり、優雅な感じがする。同じ前期望楼型の大型天守でも、安土城の姿をうつしたといわれる岡山城とはかなり違った形状のようだ。
天守の内部は博物館になっている。広島城を築城したのは毛利輝元。秀吉の大阪城を見物して、交通至便な土地に城と城下町を建築する必要性を感じ、山間の郡山城から太田川のデルタ地帯に居城を移すことにしたという。
軟弱な地盤に土台を築き、城郭を建築するという難工事だったが、1599年、見事に城は完成する。ところが、関ヶ原の合戦で毛利氏は防長ニ州に減封。って福島正則が入城し、城下の整備に努めたが、城の無断改修を咎められ、転封。1619年に浅野氏が入り、明治維新まで続いた。
最上階の望楼部分へ上る。広い天守の底面積に比するとかなり面積は狭い。望楼には高欄と回縁があるが、金網で覆われている。このため外観は少し違和感があるが、高所恐怖症の私でも歩くことができた。
5 広島城二の丸
天守から出て東側に廻ってみる。かつては東側にも小天守があり、渡櫓で連結されていた。この小天守台にも上ってみたいのだが、柵とロープがめぐらされていて入れない。残念。次いで堀に沿って歩いてみる。天守の北側には犬走りがあり、東側から近づいていくが、ちょうど天守の下部分から入れないようになっている。またまた残念。
広島城天守の天守台は、堀から直接立ちあがるのではなく、少し内側に設けられている。この点は松本城と異なるようだ。
天守台の下から引きかえし、そのまま犬走りを東へと進む。つきあたりを南へ行くと、先ほどの裏門に出る。さらに南へ進むと駐車場、売店、護国神社がある。この先に二の丸跡があり、表御門、脇櫓、多聞櫓、太鼓櫓が木造で復元されている。表御門には入れないが、残りの三つの櫓は内部を見学することができる。
二の丸太鼓櫓(内側=北側より) 二の丸内部
二の丸の門と脇櫓(堀の外側=西側より) 二の丸脇櫓(手前)〜太鼓櫓(外側=西側より) 多聞櫓が入口となっている。入って右側が脇櫓。やや広い建物で、畳の間がある。続いて東西に長い多聞櫓を進む。NHK大河ドラマ『元禄繚乱』の資料ポスターなどが展示されている。その先が太鼓櫓、二階建てだが、見学できるのは一階部分のみ。
見学を終えて、表御門より外に出る。城の南側を堀に沿って西へと向かう。城の西側に出ると、天守の姿がはっきりと見える。さらに天守方向へ近づき、写真撮影。次いで北側に廻り込み、撮影する。
6 アストムライン
時刻は午後三時をまわっている。予定よりも時間がかかってしまった。次は新交通システム「アストムライン」に乗って不動院へと向かう。城の西北の道路沿いに「城北」の駅がある。入口と駅の建物は地上にあるが、ホームは地下にあり長いエスカレーターで下る。ホームは透明なプラスチックで囲まれていて、モノレール式の車両に乗降するときだけドア部分が開くようになっている。密室にいるようで、なんとなく不思議な感じがした。
さて、車両がやってきた。普通の電車よりも車両の長さがかなり短いようだ。中は冷房が良く効いている。城北駅を出てしばらく進むと地上に出て高架線に入る。広島市街地北方の山や川の景色が良く見える。
不動院駅は城北から四駅目程。駅から降りて5分も歩かないうちに不動院の楼門が見えてくる。本堂は国宝に指定されているそうだ。不動院は足利尊氏が全国に設けた安国寺の一つであり、一時期は廃れたが戦国末期、安国寺恵瓊が再興した。関ヶ原の戦いの後、一時勢いを失ったが、浅野氏の保護を受けて江戸期は安泰だったどうだ。戦災を免れた貴重な寺宝を多く持つらしいが、境内は人影もほとんどなく静かだ。一回りして、アストムラインで本通り駅へ。
不動院・楼門 不動院・本堂
7 再び京橋川
本通から京橋川沿いのホテルまで歩こうかと思ったが、疲れたので市電に乗車する。広島の市電は、現在市の中心部が120円均一になっているそうだ。この区間では整理券を取らなければならないらしい。普通整理券は車内で取ることが多いが、広島ではホームに設置してあった。良くわからなず、整理券なしで乗車したが、運転手さんに伝えると、無事120円で下車できた。
宿泊するマルコー・インに戻り、チェックインする。部屋は5階で、広めの部屋だ。今回は旅の窓口で予約したが、\6,500と安い上に、部屋もシングルとしては広く、ゆったりとしている。嬉しいことに部屋は京橋川に面していて、なんとなくゆったりとした気持ちになった。しばらく部屋でテレビを見て夕食を取りに外出する。
広島中心部地図