八戸は八戸藩でして、南部藩の支藩という位置付けです。戦国期は青森県はほぼ南部領でしたが、津軽為信が独立して西半分の津軽地方を得ると、南部藩では、謀反して掠め取ったという意識があって後の世までわだかまりがあったと伝えられています。青森県八戸市は岩手県八戸市ともいわれる由縁があった岩手の民放テレビ局開局の際は是非、八戸地方でも観れるようにと陳情があったと聞きます。弘前と青森は津軽、八戸は南部ということで、何かとギクシャクとした関係があったともとれますが、今はほとんどそんなことはないと思われます。しかし、八戸市の岩手びいきは、ホントかもしれません。
長くなりましたが、青森市に行った際、地元の人に南部もんといわれたことがございました。その言い回しは、私の誤解もあるかもしれませんが、かなり馬鹿にしたような言い方で、一瞬「ムカッ」ときたことを覚えております。どちらかといえば南部の人間の方が、おとなしいと思われ、昔の生活なども津軽地方に比べて貧しかったといわれています。