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お城ミニ知識1

 

1.現存天守と再建天守 2.位置による分類

 

1.現存天守と再建天守 − 現存天守・復元天守・復興天守 −

現在私達が見ることができる天守が現存のものか、それとも再建されたものか、分類します。
さらに、再建された天守が忠実に復元されたものか、そうでないか、調べてみました

 

現存天守 江戸時代より残っている天守ですが、明治維新後の破却や第二次対戦によって、多くの天守が失われました。現在は残っているのは12の城のみです。
松山城天守
弘前城、松本城
丸岡城、犬山城
彦根城、姫路城
備中松山城
松江城、丸亀城
高知城、松山城
宇和島城
復元天守 一度失われたが、旧状に復して再建された天守。
戦後の城郭復興ブームにより、数多くの天守が再建されました。厳密には木造でなければ復元とは言えません(が、現状では鉄筋コンクリートであっても、外観が概ね復元されていれば「復元天守」と呼ばれています。
現在のところ、厳密な意味での木造復元天守は首里城正殿のみということになります。(もっとも、首里城正殿は天守というより御殿に相当すると思いますが……)

和歌山城天守
(外観復元)
福山城(北海道)
会津若松城
高島城、名古屋城
大垣城、和歌山城
岡山城、広島城
熊本城など
復興天守 (1) 再建された天守の中で、古写真などで正確な外観がわかっているにもかかわらず、あえて一部変更された天守。
(2) 再建されたが、その元になった資料が完全な復元には不足していた天守もここに入ると思います。

福山城天守
最上階高欄など
一部改変?
(1)小田原城、浜松城
備後福山城、小倉城
(2)白石城、白河城
掛川城など
模擬天守 かつて天守が存在しなかったか、その可能性が極めて低いにもかかわらず、観光目的などで建てられた天守。旧状とは全く異なる天守。 (特に記載せず)
現存遺構が
ある城郭
現存天守がなくても、現存の櫓、門、御殿などがあれば、それなりの意義はあると思います。
大洲城高覧櫓
高崎城、江戸城
金沢城、掛川城
名古屋城、長浜城
二条城、福知山城
大阪城、和歌山城
岡山城、福山城
高松城、大洲城
福岡城、熊本城
府内城
(現存天守がある
城郭は除く)
木造復元
建築物が
ある城郭
木造で復元された門や櫓を持つ城郭です。   山形城、上田城
駿府城、広島城
人吉城
(現存天守・遺構が
ある城郭は除く)

*注 復元天守と復興天守の区分については、人によって分かれるところです。上の表では、概ね復元されていても、人為的に改変されて再建された天守(実際にはなかった高欄を設けるなど)については、復元とは見ず、復興天守の区分にいれました。

 上記の分類を見れば、現在残された天守が如何に少ないか、また、再建されて天守は数多くあれど、外観ですら復元された城が非常に少ない、ということもわかると思います。
現存は12天守、外観復元は私がカウントしたところでは9天守です。二つ併せても、たったの21天守です。
 現在見られる天守のほとんどが観光資源、地域新興などの目的で再建され、城郭を保存・再建するという文化的意識がいかに低かったか、ということでもあると思います。
近年は、白石城、白河城、掛川城等のように木造での復元・復興が行われています。「復元」には至らずとも、調査・研究された跡がうかがわれます。また、愛媛県の大洲城も木造での復元を計画しています。日本の城郭再建もようやく文化的意識が伴いはじめたようです。

 個人的な意見ですが、交通費、宿泊費、休日を費やして、わざわざお城を見に行くならば現存天守と復元天守までなのではないかと思います。復興天守や模擬天守では、少しつらいものがありますね……。

2.位置による分類 − 山城・平山城・平城−

 山城、平山城、平城れにはお城の持つ役割の歴史的変遷が関わってきます。
現在見られる天守を分類してみます。

 

 1の分類「現存天守」「復元天守」に分けて、さらに天守の分類を試みます。
 さらに現存存在しない(あるいは「復興」の段階に留まる)が、天守建築史上非常に重要な天守、すなわち織田信長の安土城豊臣秀吉による大阪城徳川氏により築かれた大阪城三度にわたって築かれた江戸城をもって、「現存しない重要天守」というカテゴリーを加えて考えます。

 お城の起源は、弥生時代の堀や柵にまで遡り、集落や政庁を防御するものでしたが、南北朝時代より戦闘を重視し、山上に位置し、高度の防御能力を備えた山城が主流となります。(現存天守では備中松山城)
 時代は下り、戦国時代織田信長は安土城を築きます。高い石垣を備え、防御能力を備えると共に、政治経済の要衝に位置し、城下町を形成します。 安土城は権力者の象徴としての「天守閣」も備え、近世城郭のモデルとなりました。
 やがて戦国の世が終わると、城は戦闘よりも政庁としての役割が大きくなります。この過程で城は小高い丘の上(平山城)や、平野(平城)に位置するようになりました。
 しかしながら、平山城といっても、様々です。松山城のように本丸までロープウェイで上る山城に近い城郭もあれば、平地で少し小高い丘の上に建てられた城郭も平山城と呼ばれています。
 海や湖に面した水城も平城の形態の一部と考えられます。(高松城、今治城、中津城、高島城など)

 ここで注目すべきなのは、安土城や宇和島城などです。両者ともに平山城ですが、安土城は琵琶湖に、宇和島城は海に面しており、船が直接発着でき、水城の性格も持ち合わせていたと思われます。

建設された場所 現存天守 復元天守 現存しない
重要天守
山城 備中松山城
 
平山城 弘前城、丸岡城、犬山城
彦根城、姫路城、松江城
丸亀城、高知城、松山城
宇和島城
福山城(北海道)、会津若松城
和歌山城、
岡山城、熊本城
安土城
平城 松本城 広島城、名古屋城、大垣城
大阪城
江戸城
水城   高島城  

 本格的な天守が築かれたのは織田信長の安土城以降のことです。安土城は、防御というだけでなく、琵琶湖に面した交通の要所に築かれ、流通・経済を重要視して築かれました。したがって、以後の天守は、必然的に城下町経営を城の構成概念に加えた平山城や平城が多くなります。上記の天守の分類でも山城は備中松山城だけ、です。

 さらに、平城について見ると、大阪城、江戸城、名古屋城と、天下の覇者の居城又は、覇者によって築かれた城が見られます。覇者としての権威も高まり、防御よりもさらに政治・経済を重要視されたことがわかると思われます。

 毛利輝元が築いた広島城は、太田川のデルタ地帯に築かれたこともあり、水害にあい易く、防御も強いとは思われません。これは、縄張り=(設計)を担当した黒田官兵衛が、盟友小早川隆影(=毛利輝元の叔父)のために、あえて防御を弱くし、豊臣氏の警戒を解いた、とも言われます。

 

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