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現在、私達が見ることができる天守はいつ頃建てられたものでしょうか?
天守が建設・再建されたのは、戦国時代から幕末まで、約300年の長期にわたっています。
現存天守と外観を忠実に復元した天守(外観復元天守)それに城郭史上重要な天守(安土城、豊臣氏大阪城、徳川氏大阪城、江戸城)に絞って検討してみます。
| 1.草創期 (〜1579) |
現存しない
重要天守安土城 1579 現存天守 丸岡城 1576
一般に、天守が初めて出現したのは、安土城(1579)といわれます。それ以前にも、信長の居城であった岐阜城、柴田勝家の北の庄城(福井)、明智光秀の坂本城(滋賀)などにはすでに見られたと伝えられますが、琵琶湖の湖岸、山の上にそびえる高層建築は、強烈な印象を見る人に与えたことでしょう。
実際、以後建てられた天守で、総高、総面積ともに安土城を凌ぐのは、豊臣氏大阪城、徳川氏大阪城、江戸城、名古屋城の四城だけで、国宝姫路城でさえ天守の規模では安土城に及びません。
安土城が完成した天正七年頃までに創建された天守が、草創期の天守といえるでしょう。現在見られる天守では、福井の丸岡城が1576年に創建されたものです。安土城以前及び同時代の天守の姿を留めるという点では、大変大きな価値があると思います。
この時代は、大きな館の上に望楼を載せたいわゆる「前期望楼型」天守でした。この様式では、一つの建物の上にもう一つ建物を置くような形になるため、その接合部分の階が下部の屋根部分と重なり、外部からは見えず、内部の階と外観が一致しないという特徴があります。
2.織豊期 (1579〜1600)
現存しない
重要天守豊臣氏大阪城 1585 現存天守 松本城 1596 犬山城 1600? 外観復元天守 大垣城 1596 岡山城 1597 高島城 1598 広島城 1599
織田信長に続いて豊臣秀吉が天下統一を果たします。これに伴い、織田・豊臣系の城郭に限られていた天守が全国に広まり、巨大化していきます。この時代の代表的な天守は、秀吉の大阪城(1585)であり、外見は黒漆に下見板張りだったことから、他の城もこれにならっていました。
現在姿を見ることができる天守では、広島城、岡山城ですが、いずれも第二次大戦で失われ、外観のみを復元したものです。
国宝天守の松本城は、織豊期の創建でありながら、次ぎに述べる層塔型です。しかし、外観と内部の階数が一致しない等、古い様式も混在しており、過度期の天守とみなすこともできると考えれます。
同じく国宝の犬山城は、日本最古の天守ともいわれますが、現在の天守は織豊期〜関ヶ原の戦い前後に築かれたものとする説が有力なようです。
3.関ヶ原〜元和元年 (1600〜1615)
現存しない
重要天守第一期江戸城 1607 現存天守 彦根城 1606 松江城 1607 姫路城 1609 外観復元天守 熊本城 1601 名古屋城 1612 関ヶ原の戦い(1600年)以後、徳川氏の時代になりますが、城郭建築は発展し続け、望楼部分が巨大化し、後期望楼型天守が出現します。代表的なものとしては熊本城や姫路城があげられます。
姫路城は城郭建築技術が最高に達した時期の天守で、唯一現在も残る天守であり、現存天守のなかでもずば抜けた規模を誇ります。
また、天守が最も進化した形態である、層塔型天守が出現します。下層の入母屋・上層の望楼といった分離形式がなくなり、塔のように、上部から下部まで徐々に広がっていく形で、外観と内部の階数も一致します。望楼型が「館」のイメージとすれば、層塔型はその名のとおり、「塔」のイメージになるでしょう。この形態の代表的な天守は、名古屋城でしょう。この時期の天守の外観は、従来の黒の下見板張りにかわって、白の総塗籠が主流になります。
一方、秀吉の部下であった堀尾吉治によって築かれた松江城は、下見板張りに望楼型と、織豊期の雰囲気を残した天守といえるでしょう。
彦根城(1606)は大津城の天守を移したと言われ、織豊期の天守と見ることもできます。
江戸城は、都合三度築かれましたが、1607年のものは白漆喰総塗籠の外観でした。
4.元和元年以後 (1615〜)
現存しない
重要天守第二期江戸城 1622 徳川氏大阪城 1626 第三期江戸城 1637 現存天守 丸亀城 1660 宇和島城 1662 備中松山城 1683 高知城 1743 弘前城 1810 松山城 1852 外観復元天守 会津若松城 1639 和歌山城 1850 福山城(北海道) 1854 隆盛を誇った天守建築も、元和元年の「一国一城令」により衰退に向かうことになります。以後は新規の城は認められず、補修又は再建といった形になり、当然技術的にも落ちていきます。
この時期の大型天守は、徳川氏大阪城と、第二期、第三期江戸城天守です。いずれも幕府の権威を示すために建築された、最後の大型天守でした。
第二期江戸城天守は、1622年のものは黒漆喰総塗籠、第三期、1637年のものは、石垣を含めて総高は80mを越え、外観は下見に、黒色に加工した銅版を使用したもので、日本城郭史上最大の天守でしたが、1657年に焼失し以後再建されませんでした。
現存天守には、この時期建てられたものが多く、弘前城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城などがあります。和歌山城も、この時期に建てられた天守を復元したものです。
この中で、弘前城は1627年に旧天守が焼失し、その後なかなか再建が認められず、ようやく1810年に櫓を改修して天守とすることになりました。
また高知城は、山内一豊創建天守を忠実に再建したものとされます。その一豊天守にしても、高知転封以前の掛川城を模したといわれ、現在の天守は元和元年以後のものでありながら、その姿は遠く織豊期の天守を映したものと言えるようです。
北海道の福山城は、北海道の防備のために幕府が松前氏に築城を命じたもので、この時期唯一の創建天守です。